「空気投げ」を目指す教育?

  • 2008/09/20(土) 12:00:58


「師匠の空気投げで倒れない者は、
 修行が足りないから」

武道の世界には、そのような皮肉な逸話がある。都市伝説的に。

手をかざしただけで、投げ飛ばされてしまうように
なるために、修行に励んでいるのだろうか?
であるならそんな修行にどんな価値があるのか。


「相手をいたわる優しさを身につけるべきだ」
という声の発せられ方に、これと同じものを感じる。

子どもの素直な言葉に傷つき、大人の側が傷ついてみせ、
もっと社会を知れと言うように、そのような言葉で人は
何故傷つくのかを、傷つくことが当たり前のように、
理解させる。言葉尻を反射神経のような所へ組み込む。


ある世代の昔の子どもが、ある言葉に共通して傷つい
ていたその背景には、普遍的な真理などというよりは、
その者の青春時代に特有の、特殊な事情によって
もたらされている場合が多い。ただ、幼い子どもが
初めて過ごした時代の雰囲気は、それこそが世界の
前提であるかのように、問答無用の当たり前として
受け取られるものだから、その特殊性に気付けない
ものだ。多くの大人はその特殊性を自明のものとして
理解し得ない異なる時代に生きている子どもに
無自覚なまま押し付けてしまう。酷なことに。

自らの体験を、経験として有意義なものとして
お節介にも押し付けてしまうのは、それを理解する
ことの当面の無駄さと、難しさ困難さ、その生産性の
無さ、そのようなものを考えてみよう。



それは本当に相手の心をいたわる心へと繋がってゆく
のだろうか?!
心の伴わない徳目のようなものの一つとして知識や
挨拶のような行動様式に終わってしまうように思える。


そして、そのような子ども達の姿が、
空気投げでバタバタ倒れる従順な弟子達と重なって
見えてくる。