原始的欲求に思える時代傾向

  • 2008/07/15(火) 12:17:18

かつて清水幾太郎は
「超個人的集団の懐に抱かれたいという原始的な欲求を有」すると言った。

今の…プチ右翼と呼ばれた数年前の…若者は、
これを新しく見いだされた意義、意志によって選択するものであると感じたことだろう。

これは、原始的なものであるとも言いうるが、
言論空間的にこのようなものは、
「当たり前になりすぎて、あえて言うまでもなくなってしまったもの」がその座を占める。
いずれ「完全な忘却」…後塵への教育の頽廃…のために、
その座には、別の欲求が居座ることになる。

今では功利主義…利己的な利得行為が、その座に座っているのだと言って、一番説得力があるのではなかろうか。

しかし、プチ右翼が言論空間から排除されつつも、若者、新社会人の心には、その「常識」は未だ保持され、社会人規範として幅を効かせているようだ。排除されることを怖れてであろう、企業の行事に参加すべきだと考える若者が増えていると言う。

清水の言った欲求が「原始的な欲求」として指摘される時代は、
さほど遠くない未来において訪れるだろう。

愛国心・「匿名の思想」他 (清水幾太郎著作集)
清水 幾太郎
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人間は超個人的集団の懐に抱かれたいという原始的な欲求を有し、自己の反省と責任とに於いて生きるという重荷に堪えられぬ時がある。平穏の日なら別であるが、苦難と危機とが迫って来る時、人間はこの重荷を投げ出して、巨大な集団に身を託し、上からの命令のままに動きたいと思い始める。この集団を自己の膨張したものと感じ、この命令を良心及び判断の代用品として感ずる。元来、人間の精神にはこのような傾斜がある。自然の状態に放置すれば、人間はズルズルとこの傾斜を滑って行く。

清水幾太郎 愛国心-五 愛国心の呪詛-(2)対外的イントレランス-愛国心の責任

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