努力だけが解決への道なのか

  • 2008/07/13(日) 19:05:05

「問題が起こる」のは、「努力していないから」ではない。

そういう場合もあるだろう。
例えば、警官の怠慢が、犯罪を見過ごすというように。

しかし、社会的な「問題を指摘すること」に対して、
「みんな努力してるんだよ」と反論になっていない反論が、
しばしば返される。

そんなことは判っている。特にこの十数年の不況の中で、
また、労働環境の悪化、制度的な破綻によって、ますます
努力無しには身を立てられない事態が多くなっているように思う。


だからこそ、私は言う。

昨今の問題の多くは、その半ば盲目的な「がんばり」によって、
際限のない「努力」によって、招かれているのだ…と。

その問題の指摘に対して、「がんばっている」ことは、
全く反論になり得ない。
それでも「がんばっている」事が反論に上がるのは、
なんなのだろう。


問題を見てみないようにすることが、対策になると
考えているからだろうか?
問題を問題として認めることが、自らの改善の努力を
放棄する言い訳の言葉としてしか受け取れないから
だろうか?
もちろんそのような言い訳が、通用してしまう場面が
少なくないことも認めるが。「だって、〜〜だもん」と。

しかし、問題を指摘しているからと言って、必ずしも、
怠慢の肯定をしているわけではない。一般的に努力をする
ことを無駄だとか、馬鹿らしいと言っているのでもない。

例えば、惨めな敗戦を招いた数十年前の日本人は、
努力をしていなかったから負けたのだろうか?
努力をしていなかったから同胞を大量に死なせたのか?

そうではないだろう。彼らは十二分に頑張っていた。
それこそ文字通り死ぬほど頑張っていた。のみならず、
自ら死ぬことまでもを選びもした。

私は、努力はきちんと報われるべきだと考えている。
その前提で、それが実現されることを願って、
発言をしている。

そして仮にこの願いが叶って、人々が報われたとき、
その報われる人の中に、自分が居るなどと考えていない。