見られていないことの不安

  • 2008/06/29(日) 12:14:32

見られている不安から見られていない不安


昨今の若者を捉えている問題として
「見られていないことへの不安」が指摘されている。


私に言わせると、
その発現は、1970年代の“不良”時代からだろう。
その「反抗」は、すでに「オレはココにいる!」とも
形容されてきていたはず。

その一部に発現されていたものが、いまや一般化されて
しまっているのが、昨今の現象であり、
「ファンタジー化された」「ヤンキー」が、強く支持されて
いるのも、それ故であろう。


そこに'60年代以前のようなものを見ているのは、すでに老人か
ステレオタイプ化されたソレを無分別に受け容れてしまっている
「大人」だけだろう。

1970年代からの「不良」の「だから私を見て!」という傾向と
そこに重点特化してきた今の社会とは、逆に言えば、
「悪いことをした者しか見ない社会」でもあるのだから、
孤立化に耐えきれない子どもを、より大きな「悪」へと
走らせることになる。
それはこうも言っているに等しい。つまり…「良い子」とは
「毒にも薬にもならない無益・無用な存在」であると。


と同時に、「どうせ見られていないのだから」という実感は、
「悪いこと」を「平気でできる」…ということでもある。
それは、大人社会が偽装にまみれていることが、もはや
公然の事実であることからも、これが…「見られていないこと
の不安」が、子どもの問題ではない事を示している。

○○味の××

  • 2008/06/28(土) 19:11:19

リンゴ味のジュース
ミカン味のガム
グレープ味のソフトキャンディ


この「○○味の××」という組み合わせは、

○○を変数とした××というものが…
ガムならガムはどれも同じガムであるという
のみならず、

××を変数とした○○という共通性の中で、
どれもほとんど全く同じ味が期待されている。
…と言うか同じであると言うべきか。


イチゴ味の××ならば、ガムであれジュースであれ、
何であっても同じ「イチゴ味」が実現されており、
それがリアルな果実である「苺」とはまた別の…
実際に異なる味をもって…個性有る「ソレ」が「存在」
している。

「コレ」とは何なのだろう。



そして、今、教育で求められているような「個性」も、
TVCMでさんざんに叫ばれている「個性」も、
そこから思い浮かべられるそれも、この「○○味の××」
とほとんど変わりないような「○○」でしかない
ように感じられてならない。

「○○という個性を持った××さん」

この「○○」には、本来持っている生得的に持っている
個人の中の個性は求められていない。そのような物として
認められてはいない。

それは、「メロン味」が果物のメロンの味を体現していない
事と、ほとんど変わらないように…。



メロンソーダの「メロン」も、もはや実際の果物の
どんなメロンにも、その味は存在しない。

しかし、「メロン味」として「その味」を思い浮かべ、
それを欲するという感覚が芽生える。
そして、原色系のドギツイ色の液体を求めている。

考えればおかしな事だ。


アニマとかクオリアとか言うモノを説明するのに、
このような実感の方が伝わりやすいのかな。と思った。

公共事業の細切れ発注…は悪いの?

  • 2008/06/24(火) 12:05:09

「公共事業の細切れ発注」
無意味なコスト高を招いているとメディア某番組のバッシング

…はぁ?! それは良いだろう!

多少のコスト高は、ある意味必要経費だ。

手抜き工事をする業者を炙り出すことが出来るではないか。
その業者の手がけた区間だけが、早く劣化するのだから、
それを関知することによって、粗悪な業者にペナルティを
科すことが出来るではないか。それが手抜きならば罰則を、
それが未熟さ故ならば指導をすることによって、国全体の
品質と技術を底上げしてゆくことになるではないか。

今の大手が独占しているような状況では、
環境要因を言い訳に、単純な性能比較ができなくなる。
条件を同じにした比較が出来てこそ、優秀な企業・技術者が
浮かび上がってくる。


品質が向上すれば、耐久度も上がる。
耐久度が上がれば、建設サイクルが延びる。
結果的に公共事業の必要性は減ることとなり、
公費削減に繋がってゆくかも知れない。

その前に、これまで無分別に作ってきたそれら公共資本の、
維持管理のための定期点検へ、早急にも大規模な人材を
回さ無ければならないほどのほったらかしをしているの
だから。事故や人災によって被害が出て気づくようでは
国としての浪費は二重三重に加算されるではないか。

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