プラシーボとスピリチュアル

  • 2008/05/23(金) 12:33:38

プラシーボの効果を享受したい者は、
それに科学的効果の有無を自己判断する視線と
行動は伴ってはならない。

科学的効果が現実的にあるのであれば、それは
そもそもプラシーボではない。


科学的効果が期待できない(弱い)のであるならば、
プラシーボの効果を確実に弱めてしまう科学的な
客観的な事実は、むしろ積極的に回避すべきだ。
プラシーボの効果を弱めることにしか寄与しない。

そのようなものは、自己判断にまかせることが
そもそも間違っている。


「自分で考えて行動せよ」などと言っていては、
一定レベルの苦しみからは、永遠に誰も救えない。
究極的には。


救うべき対象を、効果的に救うには、
気持ちよく騙してあげねばならない。

そして安心して騙し続けるためには、周囲の者が、
プラシーボの現実的な害の有無を冷徹に見極め、
選択しなければならない。
どうあっても、自己判断に任せられるものではない。
記憶の断絶された多重人格者でもなければ。


この意味でも人は一人では生きてゆけない。


責任を、何でもかんでも個人に帰すことの罪を、
社会的立場から考えて行かねばならない。