その美白は危険ではないのだろうか

  • 2008/05/15(木) 18:43:54

しきりにCMされている
「美白」の「常識」の「取り組み」は
皮膚癌の発症リスクを高めている行為
でもあるのかも知れない。

逆に言うと、
シミがメラニン生成によって生じるものであろうが
“シミ”としてそれが表れるのは、生成異常によるもの
であって、いわゆる健康的な「小麦色」ならば、
全面均等であることは変わりないので、そこに
“シミ”は無い。

むしろ、ひたすら「美白」と称して、メラニン生成
そのものを抑えてしまったら、抑えることが可能
であったとしても、紫外線に対する細胞の保護機能が
無いということでもあるのだから、
不意の出来事によって浴びてしまう紫外線によって、
局所的な生成異常を引き起こしてしまう確度が上がる
…リスクが高まる…ということなのではなかろうか。

「シミを無くしたい」「予防したい」という
動機から行われている当にその行為によって、
シミを生み出しているのだとすれば、なんて
皮肉なことだろう。

器用貧乏は、前頭葉人間

  • 2008/05/15(木) 18:26:02

器用貧乏は、前頭葉人間。

体現したものが、小脳や側頭葉のような場所に
固定化されていないから、
身につけたはずのものが、定着しない。安定しない。

安心信頼に至らない。



私はそれ…定着…を「小人」と呼ぶ。


経験が「小人」になれば、小人が教えてくれる。
よく彫刻家が「木の中に予め眠っている」とか、
画家が「筆が教えてくれる」だとか言う、その実感は、
つまりそういうことだろう。

自我のある前頭葉的な思考ではなく、その自我を抑制するような
感覚によって、自然というか、本能とでも言うようなものに
突き動かされ、操られているような感覚で事物に向き合うことになる。
結果として。

脳科学的にも、そのような状況での作業は、脳血流量が活性化していない
という。とてもリラックスしたような状態で、複雑精緻なことを成す。


しかし、その感覚がいくら忘我の境地であるからといって、
神懸かり的な、何かに憑依されたように凡人がいきなり豹変する
事はあり得ない。

日々の中で、鍛錬の中で、心の中に頭の中に、体と脳との連帯の中に
小脳的な領域において、「小人」を作っていったからこそ、結果として
それができるのだ。

職人の実感としての「無心」を、言葉のままに受け取ってはならない。
そんなものいくら信じても念じても自分のものになりはしない。決して。


「考えてはダメだ」
という言葉は、一面で真実であろう。
「教えられない」という言葉も、ある意味ではその通りだろう。

しかし、考えて考えて実戦して実戦して実戦し続けた結果、
結果として考えなくても動くようになるものであって、
考えることを否定した先に、たどり着けるものではない。決して。


なにか、都市民の幻想として、職人信仰のような言説の中で、
このような努力と鍛錬とマンネリの先の内面化であるそれを、
それとは全く別の対極のものとして理解しようとする傾向が
あるように…あったように…思える。


純粋に素直にありのままに、ある意味自我や努力を放棄
することによって、辿り着けるもの
であるかのように。

そうではなかろう。