分析と対策の二つのズレ

  • 2008/05/08(木) 18:59:58

1960〜70年代の親子(母子)とは、
とことん子どもを守る者として描かれていた。
しかし、
1990〜2000年代の父親(母親)像とは、
子どもは我が儘な親の犠牲者となっている。
むしろ子どもの方がしっかりしているとして描かれている。

これは「価値観の転換」…なのだろうか?

これは日本人が変わった〜人が(個人が)〜変わってきているのだ。

そのように評してしまうのでは〜日本人の親の自覚は年々
劣化している
〜そんな解釈は、間違いだと思う。



あれは、我が儘に育てられた世代が、そのまま子どものまま
父親・母親になっただけだ…と見るべきだろう。
変わった結果と見るより変わらなかった結果だ…と。

そして、
いくらこんな「価値観」の中で育っても、「大人」が嘆かわしいと
叫ばれている中で育っていても、今の子どもたちは、現状での
その親を気遣って生きている処世術の延長線で、きっちり
子どもに尽くす親となっているに違いない。と考える。

受け継がれるのはそのような「価値観」ではなく、
三つ子の魂に近い幼少時の手癖なり処世術の方だろう。



これをこのような単なる世代論としてみることなく、
時代による価値観の変化だとして見てしまうと、いや、
そのように見ているからこそ、対応すべき所にメスを入れる
ことができずに、しなくてもよい所にメスを入れてしまっている。
故に、これからの子どもは、すでに追い詰められている上に、
さらに過大なプレッシャーを浴びせられることになるのだろう。

今の「状態」から比較して十分優秀な母親の役割を演じていても、
家庭は劣化しているという「常識」が、無批判にその世代に
向けられ追い立てられる。当の世代は過去との比較の使用の無さから
身近な誰かとの相対的な…しかれども現実にある…差によって比較され
さらなる理想的な役割を演じることを求められる。おそらく10年後。