手段と目的が入れ替わる時

  • 2008/01/26(土) 19:48:43

「人格の完成した者」は、往々にして
「手段」と「目的」が逆さまになっている。

目的 … ただ掲げるだけのもの。達成される事は考えない。
手段 … それのみを形式化する。目的に反していると判っても、
ひたすら繰り返す。決してそれを曲げない。


例えば、ゼネコンの多くは、
高速道路の完成という“目的”よりも、
建設業で食ってゆくという“手段”へと
転向した。

それによって、

より高級な、より安全に、といった「建前」を持ち出して、
より多くの税金を引き出すために、
より多くの人件費を出し渋り、
より多くのピンハネを画策し、
限界を超えた手抜きをしてきた。
(ここで安全という目的(建前)に対し、すでに反している)

それらによって、高速道路の完成は、
より未来へと先延ばしにされた。

これはODAにしても同じ。



別の悲惨な喩えをしよう。

「家族の平和」を「目的」に
「家族とは裏表の無い付き合いをしたい」という「手段」を
思いつき、決意した男が、

猫なで声や明るい言葉かけを、相手の心を騙す悪だと考え、
そのような会話を完全に断った。

当然、その家族からは明るい会話は消え、殺伐とした家庭となってゆく。

そこで、
相手が必要としており、そのような言葉かけによって相手を救えるのだ
と、猫なで声のような明るい会話をする事が良いと、問題解決の
手段として指摘され、それを理解したとしても、
この男は、相手を騙す“とも言いえる”行為は絶対できない…と、
頑なに拒絶してしまう。

この判断は、その「目的」であった「家族の平和」をないがしろにし、
「手段」を優先し固執している。
全く持って本末転倒、手段と目的が逆さになっている。


このように、何があっても自らの行いを改めないことを、
「人格の完成」と言うのだろうか…いや、言うのだろう。

ウイルス作者、著作権法で逮捕

  • 2008/01/25(金) 12:44:41

インターネットの世界が、どんどんさみしくなるようだ。

コンピューターウイルス作者が著作権法で捕まったという。

動機を咎め難いのは分かるのだが…、
こんな拡大解釈…、これではある意味「セクハラ」と同じで、
「不快に思った奴はだれでも罪人にできる」って道を開いたに等しい。

また同時に
「ああ、だからウイルス作者を罰する法律が無いのか…」と
思わされる。


MAD作品を含め、なんらかの形でマルシー画像を使ったメッセージを
不特定多数の他者に見せられるようにする者が、どれほど居るか〜
これには、閑古鳥の飛んでいる個人ブログに貼るだけ…も含まれよう〜

それらすべての者も、法的に逮捕することができるということを
示したのだから。この事件は。

今は、ウイルスだから…と別の理由を看板に背負わせているが、
それは大衆向けの看板にすぎない訳ですよね。法的には。

そのような大衆に対する萎縮効果はいかほどになるだろうか!?


良心的な者ほど、そのような場所から、まず先に消える。
残った者は傍若無人な無法者ばかりになって、自省が
効き難くなって、社会的に非難を集めやすくなっている
ことであろう。

ウィニー利用者であったことから、その「ウィニー」という
単語が犯罪の代名詞のようになっていることもあろう…
防衛省の機密漏洩や、制作者の逮捕など、すでにそのような
印象を伴った言葉となっている。

今にして、そんなウィニー人口がどれほど居ると言うのだろう?!
私は一時期ほどの利用人口などないと思っているのだけれども。

その規模で他者に配ったことが、逮捕用件として、前例のある
犯罪とされてしまったのだから、その他の大多数の投稿サイトで
投稿した者のうちで、人気を博したようなものは、ほとんど
引っかかることになるのではないでしょうか?

そして、何のきっかけで、どんな作品が、いつ、突然に
大人気をさらうかなんて、投稿者はもちろん誰にも判らない。

時の権力者にとって気にくわない作品または個人が、
私的に特定警察官から目を付けられたような場合でも、
しょっ引くことができるのでは?

これは、イスラムを侮辱したとアフガンで外国新聞の記事を
コピーとして配っただけで死刑判決をうけたというアレから
すれば、相当に程度の差はあるが、同じ方向へと
一歩踏み出したんだとは言えそう。


当然、著作権違反は違反として、別に、罰せればいいと思う。

しかし、
他の重大犯罪…もとい、社会秩序への攻撃者を…罰するための
「方便」として、刑法のバランスを欠いた罪と罰との関係を
その場のご都合主義で結んでゆけば、刑法体系そのものを崩す
ことになるのではあるまいか。

ひいては、著作権違反の重さが、ウイルス作者やその他
これからも累犯で罰せられるであろうその他の罪をも、
合算したようなもの…となってゆくのだろう。

かつての政治犯のように…。

効率的異端者狩りについて…

  • 2008/01/21(月) 23:38:21

悪魔との契約や儀式の作法を作り、まとめ、
または伝え広める者は、

なにも悪魔を信仰する者ばかりとは言えない。

これら儀式行動が行われるということは、そこで、
不心得者の異端的行い伴い、物理的証拠が残る事になる
ということだ。これは、不心得者を炙り出すには
不可欠な要素となるのだから…。



異端者撲滅を考える者からしたら、証拠を残して貰えなければ、
そいつらを公的に正当に「始末」することができない。

異端の儀式が作法として広く伝われば、
それに必要な商品の流通ルートを手繰ることで、
異端者を押さえることが可能となる。

検挙を容易にするためには、儀式に必要な物品を限定し、
希少な物が必要であるほうが都合がよい。
また、邪な願望を持つ者の側からしても、そのような
希少なレアな物品を要する儀式であることが、術の効果を
信じたい欲求とも合致する。


…このように言ってしまうと、計略で陥れるみたいな印象を
与えてしまうかもしれませんが、ここで対象となるのは、
それらは反社会的な人間であって、「狩る」ことは社会正義
に適う…とも言えなくもないわけで、その行為者を突き動かす
動機を、正義そのものでしかない…とも言えてしまう。

…しかしながら、そのような魔術で他人を貶めようといった
動機から儀式行動を行う者とは、刹那的な異端者に過ぎない
のだから、真の異端者…キリスト教以前からの信仰を維持し
守っている者…を、直接的に炙り出すことにはならない。

当然、古より変わらぬ儀式を行っているであろう者は、
目先の…書物や禁忌として公示される…儀式や作法に
惑わされたり、囚われたりはしないのだから(しかし、
狩る側に作法を知られれば一網打尽のリスクともなる)。

また、当人のストレスや鬱憤の解消のためではなく、
現実的に他者を追い落とそうと考えている…今で言う犯罪者
…反社会的人間…は、そのようなつまらない迷信に
すがりはしない。証拠を残さずに完全犯罪を試みる。

だから、彼の「正義」は、
そのような現実的な驚異にとっては、何の対策ともなり得て
いない。しかし、出来ることだから、せずにはいられない。


今、簡単に「今で言う犯罪者」と書いたが、
今でも明らかな悪意を向けた当のその他者に対し、
現実的な不利益を間接的に与え、
その因果関係が一般的に明らかであっても
現時点での法で裁けないような行為(罪とは書けない)も
いくらでも考え得るだろうし、現に行われている
であろうが。