絶対弱者ほど活用は易いはず

  • 2007/12/28(金) 12:23:24

絶対弱者―孤立する若者たち
三浦 宏文 渋井 哲也
長崎出版
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絶対弱者

それを、
コミュニケーション弱者としてそれへの向上心の欠落を説くに
留まっており、それが自らのプライドに関わるのでであろうが、
あらゆる向上心の欠落の側の有無を、重要視していない。
…そのように扱うことによるこの問題の好ましからざる拡散を
私はまず懸念する。
現時点の問題者を囲い込む上の便宜であることも判らなくも無い
のではあるが。

コミュニケーションスキルに関する向上心の欠落は共にあるとして、
他の自らの興味関心に関する向上心の有無は、きちんと別に扱う
べきではないのか。

自らの向上心と、社会的に役にも立たないものであれ没頭し、
他人の目からは無駄な苦行に思える行為を続けることのできる
能力があるのであれば、

それは、その者の適正を見抜ける上位者の手によって、きちんと
社会的にその能力が必要である場所に導いてやることが出来るならば、
単にコミュニケーションスキルの高いだけの常人などよりも、ずっと
高い仕事能力を発揮し、社会の国の生産力を高めることに貢献できる
人材(財)となるはずである。

コミュニケーション強者の独壇場であるコミュニケーション・ゲーム
のごときものは、単なる馴れ合い、無駄な時間浪費でしかない。
国家的生産能力の観点からみれば。
もちろんそれこそが個人の人生において掛け替えの無い生きる動機・目的
である者の多いことを理解していないわけではない。
しかし、そのコミュニケーション・ゲームに興味が無い者ほど、
コミュニケーション強者よりも弱者であるほうが、よっぽど仕事をする。
使命感を得ることの可能となった業務においては。

社会的に、単純労働の価値が認められ、それが承認されているならば、
無用な劣等感を感じて、そのような職業を忌避したり、自分の才能に
合致しない苦痛でしかない職業を無理に選択することも無くなろう。



昨今の日本の生産力の低下、経済低迷の一因として、私には、

多数がその“コミュニケーション・ゲーム”に没頭していること、
また社会からの強い要求と同調圧力に屈して翻弄されながらも
それにしがみついているような状態にある者らで締められている
ような状態にあることも、

その一因として、相当のウエイトを締めているハズだ…と考えられる。




バブル経済以後、日本国民全員がさも“営業マン”であるべきである
かのような風潮になった。それは戦前誰もが“兵隊さん”に憧れた
あの状態に似ていやしないか。
いや、「憧れた」という表現では相応しくないであろうか…
日本人としてあるべき姿として、そうでない者が“異常な不適格者”
であるかのように扱われていた。

それと同じように今、“営業マン”のコミュニケーション・スキル
礼賛の中で…これは“芸能人”のソレでも良い…そのレベルを満たし
得ぬ者は、“社会不適格者”として「絶対弱者」として扱われる。
コミュニケーション・ゲームの脱落者として、ひいては
社会構成員の外へと押し出されてしまう。


小泉改革の時代。何故そんな事に気づく者が居なかったのか。
全く理解できない。何故これほど自明なことを疎かにできたのか
怒りに似たものを覚える。

ここでこのように為政者のマインドを想定できる…
肉体労働・単純労働など、劣等な仕事は優秀な日本人には相応しくない。
優秀な日本人は支配者として…「営業マン」として…、アジアを支配する
…仕事の差配をする役割を担えばいい。後進国は俺に従え!
…そうとでも考えていたのではなかろうか。

それは戦中の軍国主義にそっくりだと思いませんでしょうか?




どんな社会でも、独創性とは無縁の単純労働者無しには機能しない。
いや、それこそが欠かせない構成員だ。農業も含め。

それを尊敬できない社会は、潰れてゆくのは自明ではないのか?

警官、消防隊員、自衛官…末端で身を粉にして過重労労働に
献身している者を、安く買いたたいている。その辛さを微塵も
体験せぬ青二才の「エリート」が頭の上を通過してゆく。
のうのうと偉そうに命令を無茶を理不尽を下してくる。
犯罪への荷担までもを強制してくる。少なくとも外から見て、
そんな構造になっている。
そんな今の国のあり方では、低迷して当然だ。

日雇い労働や長距離ドライバー、炭坑マンを、力強い父として
尊敬していた頃は…悪く言えばおだてすかして集めていた時代が
すさまじい経済発展していたのは、つまりそういうことであろう。

少なくとも、それに見合う対価を、高給を支払っていた。

今のワンコールワーカーは、保険も保証も保護も無い上に、
安い労働賃金で危険な仕事を任されている。知識もない上に。




明確な意志があり、行動の伴っている者を、
既存の「労働配分システム」に無理矢理組み込むことは、
社会の可能性を潰し発展性を犠牲にした悪しきシステム、
悪しき慣行主義であろう。

しかし、自らさしてそもそも明確な目的意識も無く、
クソマジメ…自分の好きなことには没頭するけれど、
単にコミュニケーションスキルの無いだけ…のような者を、
社会のシステム全体のバランスを考えて配分・分配してゆく
システムそのものを破壊し、根絶してしまったら、

そのような者が大量にあぶれ出すと共に、
無用に苦しみを抱え、生きづらさに困憊しながら、
個々人の生産能力は、十分に発揮できないことになってしまう。

そんな状況で、社会に活気が出てくるはずがないではないか。
コミュニケーション・ゲームに関連した流行市場を除いては。