私にとっての「集合知」

  • 2007/12/15(土) 17:50:36

「集合知」というものが「多数派正義」の代名詞であるのなら、
私も「アンチ集合知」と応えることになる。

が、私の考える「集合知」には、ニコニコ動画も含まれるので
基本的にアンチではない。


私の考える「アンチ集合知」とは、「知の自己完結」であって、
ある意味「救世主待望論者」にも似ているものを想定している。
圧倒的な天才が一人居て、その者の頭の中だけで完璧に統一された
唯一の価値観が、神の御神託のように天から降って湧く〜ような、
バカの存在は無駄であって、物事を無駄に複雑にし、足を引っ張り
成立を遅らせる雑多な存在である…「バカは黙って従え!」と見なす
ような立場の者。


私にとっては、
他者と共に共同で作品を構築することは全て「集合知」であって、
ネット時代の集合知に限定しても、不面識の第三者と共に、
なんらかの関わり合いの中で双方向的に作品を作り上げる仕組み。
それはニコニコ動画にも存在し、それを抜きにしては、ニコニコの
魅力も存在価値も成り立たないように思うのですが如何でしょう?

おそらくニコニコ動画が宣言したという「アンチ集合知」とは、
「万人の万人による万人のための情報」としての「集合知」に
対するアンチテーゼであろう。直接その主張を読んだわけでは
ないのではあるが…。一部の少数派の偏った趣向も、
「万人に支持されないから」と言ってその存在に価値が無い
と言ってしまって良いのか? という問いかけであり、隙間産業…
ニッチ開拓の価値と可能性を提示しているのだろう。ロングテールと
言い換えても良い。




こちら(↓ニコニコが面白いと感じる理由を解説してる)
http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20071212/1197437376

…へコメントとして、私の考えるニコニコの利点として、私からも
論点として2〜3並記させて戴いているのですが、そこでも指摘して
いるように“ニコニコの仕組み”は、個人と個人を有機的に繋ぐ
…というよりはむしろ、趣味と趣味を繋ぐことに限定し、個人を
単位とするような“有機的繋がり”に、“規制を掛けた仕組み”
になっている。

それが逆説的であると同時に、ヒトのコミュニケーション
ってものの核心を突いているような気もするわけです。

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