「夢」と「時間」と「時間」と「夢」のメタファー

  • 2007/12/14(金) 19:01:02

「時間は夢を裏切らない」だとか言うけれど…、


時間は 何も解決しない

その“思い”を
    強化・固定化するだけだ

その現状は より変え難くなり
    永続化することになる



…これが私の実感であり真理。


その「時間」という言葉の中に、日々の努力…「行為」の積み重ねを
含んでいるならば、いわゆる松本零士の言葉は真実であろう。

が、一般的に「時間が解決してくれるよ」と言う場合、その
「時間」には、「行為」が含まれていない。
何もせずに問題を放置すること、見て見ぬ振りを続けていけば、
忘れれば、問題はいずれ解決しているだろう…というようなもので
人の噂も七十五日」とある意味セットの言葉であるのだから。

「時間が解決する」とばかりに、様々に問題を“先送り”にしている
昨今にあっては、語られる「時間」とは、こちらであるべきだ…と思う。





ちなみに、牧原敬之で問題になった歌詞…
夢は時間を裏切らない」と言う場合の「時間」とは「夢」とは
なんだろう?!
その「夢」とは、松本零士の言う「夢」とは全く違うように思う。

松本零士の場合は、将来の目標や現状の努力・継続の延長線上に
掲げているものであろう。

牧原敬之の場合は おそらくそうではない。

彼の「夢」とは、「キャラ」や「自分ってこういうヒト」って言ってしまう
自己設定・自己規定のようなものであって、ヒキコモリの世界認識とも
ある意味似たようなものであるのだろう。

であるから、その場合の「夢」を持ってしまった者は、世間との
自らの年齢との、時間とのギャップがどんどん開いてゆく。
現実と乖離してゆく。そういう意味での「時間」と見るべきだろう。

だから、「夢」に囚われてしまった者は、早々と、今直ぐにでも! と、
その「夢」を捨てなさい…と指摘・指導される。
ヒキコモリは、全人格否定されて社会進出をし、ゼロから人格形成する
ことを求められる。「夢」が「時間」を「裏切ってしまう」から。


しかし、牧原敬之は“そうではない”と歌う。
「その二つがちょうど交わる場所に心が望む未来がある」と歌っている。

これは、松本零士のように永遠の未来に向かって全力疾走で突き進む、
努力し続ける。
そんな価値観とは正反対だ。

牧原敬之の「夢が叶う≒未来」とは、例えると平均台の「支点」
のような場所にあるもの。「夢≒力点」と「時間≒作用点」との
左右のバランスを絶妙に取りながら、その中心を見つけてゆく
ようなもの…と認識しているのであろう。仮に、一度手に入れても、
すぐにその手からこぼれてしまう。…けれどまたそこに戻れる
…そんな“ピントを合わせるようなもの”だと、認識している
のであろう。おそらく。


だからこそ、そのメッセージを守るためには、仮に盗作…もとい
インスピレーションを受けた…記憶の片隅に残る機会が有ったのだ
としても、彼は、違うのだと、盗作ではないと、言わねばならない。
言い続けなければならない。

彼の価値観は、松本零士の価値観とは全く違うモノであるのだから…。





関係あるかな?
肉体と精神のメタファー (2007/09/08)