墨家はどう消えたか

  • 2007/12/07(金) 18:50:26

墨家のネットワークが、秦の官僚ネットワークの基盤になっていた。

と考えてみるとどうだろう?



諸侯の関係をそのまま維持する…という墨家の年来の悲願を
達成する為に、“秦”という弱小新興国を“劇薬”として利用
することで、それを行おうとしたのだ…と。

であるならば、何故に秦の如き辺境の弱小国があれほど短期間に
中国全土の統一なぞを成し遂げられたのだと言うのかという疑問
にも説明が付く。
中国戦国時代の諸侯の政治をも動かす強大な力を持っていた墨家が、
何故忽然と歴史の闇に消えてしまったのか…という説明にも。


秦の官僚ネットワークの公正無私や法や規格の統一は、
古来の伝統を侵さない別枠の支配であって、そもそもの思惑が、
現在の「国際連合」や「合衆国政府」のようなものだったとすれば、
墨家十論の一「他国を侵すべからず」という基本姿勢とも直接は
矛盾しない。

ただ、そのような理念によって動き始めたプログラムが、個々人の
登用の願望の満足や、権力に狂わされる人間の弱さ、大衆の無理解、
警戒と過剰防衛…その懸念が無根拠ではない現実の脅威…。
墨家の圧倒的な防衛力が攻撃力に転換したとき、どのような支配力を
発揮したのか、ともかく、その組織の基盤として秦という国家を
おいてしまったこと…様々な変遷が短期的に全てを飲み込んで、
ともかく、統一国家を打ち立ててしまった。



…ということだった。…と考えてみてはどうだろうか?