同じ言葉と異なる内心…アンケートの落とし穴

  • 2007/12/02(日) 19:11:22

何時だったか忘れたけれど、以前、「働くことの意識調査」として
新入社員の「働く目的」を問うたアンケート結果をグラフ化したものを見た。
それは大雑把に下図の点線部分以外の領域のような変動を示していた。

「働くことの意識調査」から見えたもの

「楽しい生活」が一番に躍り出て、
「社会の役に立つ」が見る影も無いありさま。
そこに「自己の能力を高める」どころか
「経済的にゆたかになる」さえもが下がり傾向であり、
日本人の若者には向上心の欠片もないのか?!

「ゆとり」の弊害ここに極まれり…と、学力低下と並べれば
説得力を持つであろう扱いになっていた。



ここで思う。

働く目的としての「楽しい生活」という項目に籠められた内心は、
バブル期のソレといまのソレとは、果たして同じなのか? …と。

バブルとバブル後の10年は、ぶっちゃけて言えば、
「自分さえよければ」な時代だった。

だから、昨今見るような偽装問題や暴力犯罪の軽率化・短絡化が
目を覆うようになってきた。当然天下り問題もね。

それへの嫌気が「自分さえよければ」から来る「楽しい生活」の
一時的な低下であり、その後の盛り返しは、むしろ、その心配の
裏返しとしての…安心して過ごせる社会「楽しい社会」の基盤に
基づいた…「楽しい生活」なのではなかろうか。そのような理想を
求める声への移行・転換を、この振動が表しているのではなかろうか。

…ということ。


そのように見れば、この一見嘆かわしい…無責任な自己利益最大化だ
とも取りうる「楽しい生活」という選択肢も、かなり公益性の高い、
若者の真摯な意識の反映である。と言えるではないか。



思えばそもそも、この「自分さえよければ」という意識が…
それが人間の動物としての本能ではあるのだが…理性的には
憚られるそれが…あそこまであからさまに公言し得るような
風潮が生まれたのかを考えてみる。

それほど露骨なカミングアウトによって成されていたのでは
ないように考えられる。

僅か前には「お国のため」と称して命すら捨てられる…捨てる
ことを求められ、誰も反対すらできなかった風潮だったのだから。


その時代その風潮の中では、おそらく「お国のため」という
大前提の前で、より自分が「他人より社会の役に立つ」ことを
競い合い主張しあっていただろう。

それはその言葉のままでは、公益性のある、公言してなんら
言い憚る必要も無いものである。

しかし、戦後、大本営から、お上から、国から、お偉いさんから
「貴方は他人より〜〜で優秀だ」と認定される構造を失った。

「自由」と「民主」の時代に社会になってしまったからだ。


そこで他人より優秀で、役に立つ存在であることを示す
バロメーターは、ほとんど総て「賃金」としての「年収」、
経済的な豊かさ以外に無くなってしまった。

本質的にはそうではないのだが、戦中の全体主義的で
単一価値への追従の拭えない戦後日本人にあっては
それしかなかった。

それこそがいわゆる「自分さえよければ」なる価値観の正体であり、
どんなに金銭的に豊かな地位を得ても、サービス残業にまみれ、
家庭を顧みず、自虐的・求道的な苦痛の生活から抜け出せない、
使うアテすらない金を稼ぎ続けてきた者も多い理由だろう。

故に、貯めた金の使い道も判らず、「保険」や「投資」に突っ込んで
財界にいいように奪われるしか脳が無い。



しかし、マスメディアの時代に育った若者にあっては、給与に依らぬ
名誉のような…悪く言えばただTVに映れればいいような…
昨今の“若手”芸人(若くない)の如き存在が巷に溢れている。

これは良い傾向なのか、好ましくない傾向なのか…。

その辺りの「向上心」は、金銭的に測れないが故に、それが
失われているとも満ちあふれているとも、その判断は難しい。




最後に。

最初に示したようにこの「楽しい生活」の内情が、
「楽しい社会」という公益性の高い背景に基づいているならば、
遠からぬ未来に、若者の働く目的が「社会の役に立つ」へと
移行することになるだろう。

今の…これまでの、収入の高い/採算の取れる組織に所属する事
以外はすべて「社会性が無い」と断じられていた一種異常な価値観も
失われて行くのだろう。

メインの所属集団が赤字中心で、寄付や副業で、間接的に
二次的に身を立てている者こそが、社会性のある人間だ。
金儲けしか考えていないヤツは、どんなに金銭的に独立して
いても、「社会性の無いヤツ」と断じられる状況にも
なるかもしれない。…これは飛躍しすぎか。



しかし、この「社会の役に立つ」という殊勝な大衆の心理も、
一端、国家動員されれば、いわゆる「かつて来た道」にも
なりかねないので注意が必要だ。

戦前の70年と戦後の70年。似たような歩みをしていることに
注目し、警戒している人間も一定数居るらしいことは、一つの
安心材料ではある。とは言っても、その多くが軍事にさえ
向かわなければ安心だと、そこにしか注意を向けていないのが
私には不安だ。

戦前が軍事の世紀だとしたら、戦後は経済の世紀であり
資本の暴力の世紀だとも言える。構成員は兵隊さんではなく、
「企業戦士」だ。そんな時代の中ではこれをこそ警戒すべきだ。

時に資本の暴力は、軍事力の暴力より悲惨な結果を招くのだと
心得て戴きたく思う。