政治家用語「れば」

  • 2007/09/17(月) 21:44:05

政治家の言う「れば」「ならば」とは、
そんな事実は私は「事実として認めていない」と言っているに等しい。

例えば安倍元総理。
彼は総理就任時から「格差があるならば、光を当てねばならない」と
言い続け、何も手当を困じず、結果、選挙に大敗する事となった。

福田新総裁候補は、
「(改革に)問題が生じれば、丁寧に修正する」と言っている。
これは はっきりこれからも続ける改革に「問題が生じる事はない」と
言っているに等しい。ついでに後半の文言の「丁寧」とは「ゆっくり」
だとか「後回し」と類似の言葉であろう。
「迅速に手当するつもりは無い」と宣言したに等しい。



これで、騙され、福田支持を表明する多数の国民は、なんて
イメージ先行でキャッチフレーズに弱いのだ…と情けなくなる。

先の選挙で「NO」を突きつけたはずの「金持ち優遇改革」を
そのまま続けると言っているに等しい人物を支持してしまうのだから。

幕末における文化的断絶

  • 2007/09/17(月) 12:14:23

日本はなぜ「和魂洋才」のようなツギハギへ流れていったのか…


江戸幕府は早くから外交は行いたのだが、海外からの外交官と接し、
天下国家を論じ合う中で、その国力や国家管理制度の合理性を前に、
思うに「対等に創部できない」「勝てない」と悟ったのでは。
いや、思い知ったのだろう。昨今の日本の政治家のように。

だから、彼ら政治家であり官僚でもある武士達は、その自らの
起源である武士…剣士であり兵士である本分をもって、彼ら
軟弱な海外の交渉者らに対する優位性を示そうとしたのでは
なかろうか。自慰的に。逃避的に。陰ドーダ的に。


その為政者の中での武士足ろうとする態度が、言論が、
子や大衆に伝播して、幕末・明治維新の剣道道場が繁盛して
いたのではなかろうか。陰ドーダの陽転。
そして、それにこそアイデンティティを見いだし、その場での
優秀さを実戦・立ち会いで勝ち取り、揺るぎ無い自信を持ち得た
その道の実力者…多くが下級武士達…を実政治の道へと走らせた
のであろう。

そのようにして、日本の政治は、本来の政治・行政をになうべき
頭脳を失ってしまったのではなかろうか。陽ドーダの作る空気に
逆らえず、理が情に負け、問答無用となり、半ばクーデターのように、
陽ドーダの申し子たる剣士らによって、政治中枢を乗っ取られて
しまう事によって。


しかし、国として諸外国と渡り合い、国内を統治するには
何らかの仕組みが無ければ回らない。そこで安易に諸外国の
制度を継ぎ接ぎして生まれたのが明治新政府ってことなのでは。

政治的実力を伴わない彼らは、先達のように異敵の政治制度に
コンプレックスを感じることもなかったが故に、陰ドーダを発動
することもなく、素直にそれらを受け容れていった。

ここに政治的制度的連続性が断たれる。

故に、江戸の知識が多く失われる事になった。



…ってのはどうだろう。