奇跡の価値は

  • 2007/09/12(水) 17:08:03

パチンコのキャッチコピーにもなっているが、
エヴァンゲリオンの拾弐話の副題「奇跡の価値は」

「奇跡の価値!」ではなく疑問符が付きそうな
「奇跡の価値は」であるのは何故なのか。


思うにあれって「Easy come easy go」ってニュアンスを
含めて、あのような表記になっていたのでは。



「奇跡の」…つまりそれって、「タナボタ」であって、
本来、偶々の偶然性に付せられる形容詞なのだろう。
つまり、実力以上の成績を残せた…実力の裏付けの無い
不安定な状態をも内包している言葉だとも言えるでしょう。

故に、そんな形でもたらされた「勝利」や「成果」の上に乗って
傲慢にも奢ってしまっていては、むしろ、危険だ。

そのまま腐敗して、致命的なことになれば、むしろそんな「奇跡」
など無かった方がましだ。…って事にすらなりかねない訳だ。

そんな状況にまで落ちてしまうことを考えると、そのような
「奇跡の価値」ってものは、プラス評価できるものなのか…、
むしろマイナスの評価をすべきものかもしれないことになる。
「軌跡の禍根が…」とでも言い換えて良いかも知れない。



地価パブルをひたすら膨らませた当時の楽観的な努力信仰…
“無茶でもなんでも突ききってしまうべきだ”というような、
無理を承知でチャレンジすることが正義であったような、
そのような価値観に疑義を呈しているように思える。

そして、
バブル崩壊後のいわゆる「失われた十年」を締めていた価値観…
一発逆転を夢見るような、何か裏技でもって全てを一変させることが
あたかも可能であるかの如き当時の世風を問うていたのだと
考えたい。少なくとも私は、そのようにあるべきと考えるし、
そのように解釈していたし、解釈してゆきたい。

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