後悔との向き合い方によって…

  • 2007/09/30(日) 12:50:10

人間は行動した後悔より、しなかった後悔の方が重い

それは厳密に言えば、ウソだろう。
その場合の「しなかった」とは、
「しない」という決断何度も繰り返した結果において、
…でしょう。



人生において降りかかる「するか/しないか」の決断は
「しない」という決断をしても、同じ選択肢をせまられる
決断の機会が再び繰り返さない場合だってある。

例えば、旅先で「おみやげを買おうか/買うまいか」を
迫られる決断の場合、「買わない」という決断をした場合、
たいていそんな選択にせまられた事実すら忘れてしまうだろう。

むしろ、買って後悔してしまった場合、それを捨てるでも
しない限り、その土産を見る度に後悔を繰り返すことになるはずだ。
その場合はむしろ、「する」方が「しない」事よりも大きく後悔する
…と言えるだろう。



新たな選択肢「捨てるか/捨てないか」の決断においては、
「する」より「しない」事の方が後悔を強めるかもしれない。

しかし、すでに出費したものであり、また、幾らかなりとも
旅の思い出の籠もったものであるので、言い切ってはしまえない。
どちらが重い後悔となるかは。

「同じ人間」って言葉遣い

  • 2007/09/28(金) 18:49:14

「俺もお前も同じ人間だろう?!」

…いや、それは違っているだろう?!
「人間という括りでは同じとは言える」なら判る。

誰でアレ違う人間だ。

例えば「男女は同じ(性別の)人間ではない」

メールによるイジメは深刻か?

  • 2007/09/19(水) 17:46:34

「ネット時代になって、こんな酷いことが行われている」

…というように言われる。

そうだろうか?

私に言わせれば、
「ネット時代になって、証拠が残るようになったから、
 このように同情の対象にもなっている」
…だ。




活字による迫力は それはそれで人によって強い破壊力を
発揮するのだから、無視はできない問題を孕んでいるが、
今の問題程度では、子どもらしい浅はかさの上で展開
されているのだ とは言えまいか?

その意味で1990年前後の方が、ずっと孤独で深刻な状況に
あったように考える。


もちろんそれ以前にもイジメの構図はあったろう。

しかし、それらはある意味で、身分差別・部落差別のような
社会問題的側面から語られるべき存在であり、その意味で
深く酷いものであったろう。
が、その頃には、運命共同体としての地域・親があったのだから、
共有される問題として共に立ち向かう仲間があった。

親子が文化的に断絶される中にあった1990年代前後の
子どもの孤独は、個としてその比ではないだろう。