見える依存症・見えない依存症

  • 2007/07/28(土) 12:11:31

ゲーム依存症・ネット依存症…それらが病気である事を否定する気はない。

が、それを言うならば、1980年代から強まっている
出社依存症・出勤依存症のようなものも、共通する問題を抱えている。
と言うべきであろう。

意味無く残業して残業代給与を上げる社員。使う宛ても無いまま、ただ
手取り給与の上昇が、人間的評価の向上であると倒錯し、積み上がる
貯蓄残高の数値的高まりに喜びを見いだすそれらは、ゲーム依存症と
どこが違おう?! 体を壊しても、精神を病んでも、抜け出さない…
抜けだそうとしない…その行為は。

そのような「快感」は…程度の差はあれ、単なるデジタルな数値上昇
だけに喜びを見出して、寝食も忘れて没頭し、のめり込むゲーム依存症
そのものだ。


それらの違いは個人の依存環境…病気とは別次元のところに存在する。




例えば、その一つ。

そのようにして積み上げられる数値が、お金ならば、
それが病視されないのは、
「社会的にその価値が認められているから」であろう。

だから、デイトレイダーのような存在は、「依存症」とは言われまい。
同じく「長時間モニターの前に座っているだけ」であっても。
しかし、ゲーム世界の小道具が現実の金銭によって売買される延長線上で
ゲーム内のバーチャルな金銭が、現実に換金されるようになるならば、
それらの違い…境界は、限りなく曖昧になってゆくであろう。



もう一つは、
それへの依存症な人間が多いことで、利益を得る者が居るかどうかだ。
家庭を顧みない無責任な父親も、金に頓着しない真面目な働き者として、
奨励されつづけ、これほど地域社会が崩壊しても、その強制力は
全く揺るがなかった。
同時にその裏で、国や会社の収益・増益が、その生産力の原動力としての
社員に還元されることはなく、一部の役員連中(と株主)のみで「山分け」
するような状況にまできてしまった。

「依存症」は、かように支配者権力者にとって都合のよいものだ。
中世まで世界中で「宗教依存症」のような状況に人民は浸けられていた。
権力者に都合の良い存在は、それが病的なものであってもそれは指摘されない。


アルコール業界の政治的影響力が強大であればアルコール依存症に対する
警戒は弱められるであろうし、パチンコ業界の政治的影響力が強ければ、
パチンコ依存症は大きく報道されないであろう。