「気配を感じる」って字面通りに理解すれば

  • 2007/07/26(木) 17:50:51

今、「気配を感じる」という表現を使って描写される行為とは、
しばしば、目を瞑り、聴覚や第六感や超能力・超常現象を
発揮するものとなっている。しばしば…いや、全部か。


しかし、この言葉の字面からしても、それは間違いだろう。





「気配」を「感じる」
つまり、他人の「気配り」を「察知」することであろう。

もう少し言えば、
他人の「気配り」…目配せや小言の口を読んだりして、
その情報の伝達先を推測することによって、自分の視界には
見えない第三者の行為に対処するということ。

例えば、街路を闊歩しているときに、「気配を察知して」
背後から斬りつけてきた刺客を、相手を見もせずに返り討ちに
してしまう…という描写。

それは、もちろん刺客の足音や衣擦れなどの音を便りにもするだろう。
が、それ以上に、自分の正面に居る大衆が、自分の背後を見て、
声に出さずとも、表情に現れる異常事態のサインを瞬時に察知して、
それに対応する形で、上記の対応を取ることが可能だ。それは
超能力ではない。常人に真似し難くとも。

言い換えれば、「人間の本能的反応」という「鏡」によって、
その反射によって背後や死角を認知すること。
それこそが「気配を感じる」という事であったろう。


そして、それは日本の「町民文化」のように、人間に溢れ、
人間に満たされた人口密度の高い地域でこそ、有効に機能する
能力であったろう。


だから、例えば忍者モノ・剣豪モノが広野でのサシ勝負、
タイマンにおいて描かれるものとは全く異なるものであった
のではなかろうか…と思う。




ついでに、「気配りをする」という行為も、今ではその意味に
特化している「贈り物を欠かさない」だとか、「依怙贔屓をする」と
いうような、「好意を向ける」ものだけではなく、「敵意を感じている
相手から注意を外さない」というようなものをも、気配りの範疇に
入れていただろう。そして、逆に、“空気のように居て当たり前”、
“特に何か媚びる訳ではないが大好き”というような存在は、
「気配りを欠かさない存在」とは言わない。
だから、「気が置けない人」と言うのだろう。これは誤解している
者も多いらしい…「気が置けない=気の連帯を拒む相手=敵」という
意味ではない。むしろ逆だ。遠慮の無用な関係、警戒心を生じさせる
ことの出来ない相手を意味する。
まぁこれは、「気を許す」だとか「気の合う」という言葉の
意味と音韻とから「気が置ける」を同等の意味と混同して
しまう気持ちは、判らなくも無い。