職・愛パラドックス

  • 2007/07/09(月) 12:57:12

男であれ女であれ、
社会的ステータスを得た者がパートナーを選ぶとき、
…ステータスにある者故当然の事として社会的領域での
「駆け引き」によって困憊している。ある意味その
「対価」として成功を得ているのであるが…、
家庭での安息
を求めて、裏切りそうのない=モテない相手を
選ぶことだってあるだろう。

いわゆる乙女チックな少女マンガで、バカでグズな主人公が
ヒーローに見初められるのも、少年マンガで冴えないバカ正直が
美女にモテるのも、そんな条件下にあっては、部分的に、真実だと
言えるだろう。


しかし、その者が社会的ステータスの認められた者によって
選ばれたという時点で、それがどんな理由で選ばれたのであれ、
“ステータスのある者に選ばれた”というステータス」が
付いてしまう。

いわゆる「既婚者がモテる」というのもそういった側面…
つまり審眼の無い大衆が、他人のふんどしにのっかる…も
またあるだろう。


故に、社会的ステータスを得てしまった者は、パートナーの
選択条件をそのような理由によって下げたとしても、その意図が
効果として得られない場合がある。

売れっ子女優が相手に冴えない芸人を選んで永遠の愛を期待しても、
“自らのステータスの故に”、相手が実力以上にモテてしまい、
裏切られる…という結果になりがちなのであろう。
また、そんな理由も伴って選ばれた相手などは、言い寄る異性を
突っぱねるだけの免疫が備わっていないから、誘惑にも脆い


一夫一婦制の求める倫理の元で男女同権をも持ち込んでしまうと、
優秀な職業人ほどその能力が、そのような側面から発揮され難い
…そんな社会ともなってしまう。

家庭の安定を担保するためには、一定程度の時間的制約が、
義務や責任という形でかかってくる。

極一般的普通の、また、人間的・動物的バランスの上では、
それは有って当然であって、無くば精神的健康に疑問も出る
ものなのであろうが、社会的経済的合理性の上だけで見れば、
優秀な職業人の経済的生産的な価値が社会から失われる
という判断も、その狭い範疇の中だけでは、合理的に正当性が
あることになる。



だから、人間的魅力が高いであろうはずながらも、一般社会に比べて、
芸能人の未婚率が高いであろう理由も、経済合理性の上からは、
半ば必然的でもある。

芸能界というステータスの確定しやすい、半ばバブル的な世界にあって、
世襲のような地位の独占が行われ難くなるその未婚状態の定常化は、
その意味でこの観点からは価値がある。多くの才能にその限定的な地位を
解放しているのだから。

しかし、
芸能会での恋愛モデルが一般社会での手本のような逆転現象
現れるほどに「情報化」されてしまっている段階にあっては、
社会における「子どもの生産性」を上げるためには、どのような
形であれ、出産を伴った結婚のモデルを提示する必要が、
社会的要請として上がってくるわけだ。
「できちゃった結婚(私は鎹婚と呼びたい)」といった言葉が
流行語となり、常識化されていった1990年代末からの情勢が、
正にそうであったのだろう。同時にそこでは、子どもさえ出来れば
「母性」など本能的によってひとりでに芽生えるであろう…といった
浅はかな楽観もあっただろう。そして母性を発揮できない女性を、
先天的異常者のように扱ってきた。私に言わせれば、社会の
教育軽視こそが児童虐待の多発を招いているのだろう。
当然ながらここでの教育とは、いわゆる公教育・受験教育などでは
ない。知識・情報の詰め込み検索の能力などは全く関係の無い、
体験・体感を伴った知恵の伝達の仕組み・環境の存在である。



ちなみに
これは単にアンモラルの許容という意味において同質であっても、
同性愛が同じように許容される情勢が作られることはない…であろう
背景でもある。国レベルでの出生率が2を越える情勢にでもならなけれ
ば、同性婚が社会的に許容されることはまずないだろう…と思う。
決して子どもが生まれないから。もちろん、それのみが唯一の出口
ではない。例えば、同性愛者の同棲家庭が広く養子を迎え、立派に
保護者・教育者の役割を果たしているという実例が多数認知される
ようになれば、社会的承認を得られるであろう。が、今のままでは
どんなに当人同士が真剣な愛を自己認識していても、無責任な
独身貴族
の延長線上の「ままごと」だとしか評価されないだろう。
今のところ、カミングアウトして広く芸能界で認知されている
同性愛者らに、教育者としての責任を感させる者はいない。
ただ永遠の青春を利得として誇っているに留まっている。

さらに「実子を育てたい(自分の遺伝子を次世代に伝えたい)」という
生物的欲求を満たすためには、個人的性癖…本人は「愛」と形容する
であろうが…とはは別に、どうしても“異性”と性交しなければなるまい。
科学的手法によっても…クローンでなければ…必ず、異性の協力が
不可欠だ。そのあたりを同性愛者らはどう考えているのか。

この立場から考えれば、そこでの異性のそれぞれが「両親」であろう。
仮に法律が同性婚を認めたとしても、親が親の都合で主張する家庭、
そこでの「両親」とは、決して一致しない。

結婚という法律制度を、今のように「愛」だとか、血統などとは
完全に切り離して、純粋に財産権の問題として、相続の形として
捉え直すべきではなかろうか。と考える。