私の思う「心のこもった挨拶」とは

  • 2007/06/26(火) 12:21:00

心を込める」それは、

ただ、無言で念じていれば、それでよいというものではない。
はっきり言って、どのような感情を込めたのだと意識していた
のだと言ったところで、どうでもいい。

私のかんがえる「心のこもった挨拶」とは、挨拶の時に、
「記憶の伴った対応」をするということ。
その都度、自らの記憶の中の相手に対する情報を更新する作業を
内的に行っているかどうか…ということ。



それは例えば、
相手の声のトーンが何時もより低ければ、元気がないんだな…と思う。
心配事を聞いたり、励ましたり、遠回しに気を使ったり…と、その都度
細緻な対応をするということ。

逆に、高かったり、大きかったりするときは、嬉しいってことなのだろう。
相手が誘い水を向ける前に、こちらから問いかけることで、相手をより
気持ちよくもてなすことができるかもしれない。

また、反応が鈍かったら、悩み事を抱えているのか、何か夢中なことが
心を捕らえているのかもしれない。注意を促したり、気を逸らしたり
励ましたりする必要があるだろう。



全くの他人や、他人行儀につき合うだけの顔見知りでは判り得ないような
細緻な変化を記憶し、応対し、異なった対応をする。
そのような内的アルゴリズムというか機関というか仕組みというかを、
頭の中に構築しているか、心の中に込めているか、それが有るかどうか…、

…それこそが、「心を込めた」対応であり、「心の籠もった」挨拶。
ということだと私は考える。