挑戦と教育の共通部分

  • 2007/06/18(月) 18:26:28

露骨なおべっかを使わないと信頼しあえない関係なんて
寂しい。

そんな“儀礼”と言ってもよいようなものに時間を費やす
なんてある意味で無駄だ。

信頼・尊敬は、絶対の条件として欠陥、手落ちと思えるのを
言い合える関係こそ健全だろう。

それを、「欠陥」とあえて書いたが、寂しい事ながら、
ここにも補足が必要だろう。

つまり、
「“若輩者が若輩者であるがゆえに欠陥だと見えてしまっているもの”を
 “高見から見れば欠陥ではないものだ”と教示していただきたい」
拝聴させて戴きたい…という意味で「欠陥」と書いている。

そんな関係を想定して言っている。

そこで指摘された事例が、真にそれが欠陥であるかを判定しうるのは、
当然ながら、上司であり、目上の者であるのは言うまでもないことだ。
(…そう言い添えなければならない事も寂しい)

仮にその欠陥が事実を指摘しており、経営に少なからぬ影響を与えるもの
であったとしても、その「指摘」が事実であることによって、直ちに
上司・経営者がその地位を失い、指摘した者が指揮を取るべきである
…なんてことがあろうはずがない。あり得ない。事実を事実として受けとめ、
その後の経営判断をするのは当の経営者に他ならず、対策を施すのは直属の
上司であろう。仮に部下がそれなりの地位をえるとすれば、欠陥の指摘に
留まらず、改善策を、新規プロジェクトを立案し、それが上司によって
精緻に吟味され承認された後に…仮にそのようなこともある…程度の
ことであろう。

にもかかわらず、欠陥と思えるものを指摘することを、
「不敬だ」とか「わからん」などとさした裏取りもせずに、
一言で問答無用として圧殺していては、どんな問題も経営陣に
上がらない、裸の王様を抱える企業・組織となってしまうだろう。


なにより、そのように若輩から指摘されたことをいちいち真に受け、
動揺するような上司に指導される組織が、責任ある意志決定などを
期待できようか?

組織として後塵を教育する仕組みを失ってしまう。
そして、大上段から命令を訓辞するだけでは、
ただ、支持待ち人間を量産するだけだ。