今、いのりの場をここに

  • 2007/06/05(火) 17:58:38

不安に耐えきれず暴走し自滅してしまうことのないように
最も無害な何かに没頭するように誘導させることは、
至極合理的な作法である。

それは、社会を人体に喩えると、外科手術に際して
麻酔をかけるようなものだ。



「人事を尽くして天命を待つ」だとか
「待てば海路の日和有り」だとかいった言葉で表されるように、
人の命運には、個人の努力を越えた要素は確実にある。

しかし、その手持ちぶさたな境遇に際して、何もせずには
いられない…不安感に耐えられない…という者も多い。
そのような者が、不安に駆られて行動してしまうような
類のことは、命運を好転させるよりはむしろ、逆効果な
場合が多い。冷静さを欠いた判断は身を滅ぼすことすらある。

昨今の事例で身近なもので例えると、オレオレ詐欺だ。
家族の身の危険という不安を喚起されたときに、一歩引いて
冷静に判断すれば騙されるようなことにはならないのだろうが、
目の前にぶら下げられたニンジンとしての解決策・救済策に
すぐに飛びついてしまう。お金を振り込むという「解決策」に。
そんなことで人生賭けて蓄財した全てを失っても、元には
戻らない。

「冷静になれば」と簡単に書いたが、それを実際に実戦するのは
非常に難しい。「努力」という言葉があるように、感情が高ぶる
のに任せて“メチャメチャでもとにかく行動してしまえ”と
いった行動が好機を呼び込む場面が多々あるのも現実だ。

家庭での不安を打ち消す為に仕事に打ち込んで会社の中では
出世する…といったことも。
…それで幸せな家庭が取り戻せるとは限らないが。




「いのり」の合理性は合理性として理解する。
しかし、それで終わっては能が無い。いのりがどうせ無駄であり
何であれ交換可能な対象であるならば、いっそのこと合理的な
行動に誘導させるならば、社会(世界)にとっても個人にとっても
一石二鳥の構造を構築できるではないか。

環境対策だとかそういったことに向かわせることができないだろうか。

今の新興宗教が担っているような、霊感商法の類…酷い家庭を崩壊
させるような詐欺的要素が強すぎるものではない、ごく軽い娯楽・流行の
レベルのものを指しているが…で、護符だとかキャラクターグッズだとか
どうせ燃やすだけの「商品」を二酸化炭素を排出しながら大量生産し、
排気ガスをまき散らしながら大量運搬し、大量消費させる。それもただ
ゴミとして破棄するだけの市場サイクルを、どうにか転換できないだろうか?
…と考えてみる。

そのように、個人的不満足感、不遇感、不安感を募らせている人間が
多いことは、そのような商売が繁盛なことからも、占いの紙面TV枠が
充実していることからも明らかだろう。

そのような鬱屈したエネルギーを、どうにか正の方向へ転換させる
事に成功したならば…と、期待してしまう。
が、それも危うい「欲望」なのだろうか。

長い風習の歴史が証明するように、なるべく無駄で生産性の低い
密室でじっと俯いて祈るだけ…というものを推奨することが、
やはり、もっとも合理的なのだろうか。