“疎外感”を共有する人々

  • 2007/06/03(日) 21:43:38

逆立ち日本論 (新潮選書)
養老 孟司; 内田 樹
新潮社 (2007/05/24)
売り上げランキング: 9356

「ユダヤ人」を、私が定義すると、「“疎外感”を共有する人々」となろうか。

“疎外感”はシオニズムを中心とするような

「日本人とユダヤ人」が日本でヒットした時、多くの日本人が
故郷・郷里を捨て、奪われ、そうであることの側を「常態」として
しまった段階であった。それが至極必然的に思える。

それは、日本人が農耕民族として「単一民族の幻想」を作り上げた時
でもある。



だから「ユダヤ人」とは「村八分」と似ている。
我々を定義する為に我々ならざる者の存在は不可欠であり、
社会的求心力を維持するためには、不可欠な存在でもある。

にもかかわらず、原理主義的に反ユダヤ主義を貫くと、
それが実行に移されるとジェノサイドになる。
そして、残されるのは自己喪失だ。


そして、「社会に疎外感を持つ者」は、状況であって、
何処でも誰でも成りうるものであって、連続的なものではない。

それは、やくざやテロリストが根絶できないのと同じ。
…このように言うと誤解を生むだろうからこうも追記しておく。
救世主や英雄が生まれるのも同じだ…と。

平等意識を原理主義的に貫き、クラスから一番優秀な者を…
一番駄目な者を…排除しても、残された者の中で2番目の者が
次から一番になるだけだ。問題は解決されない。

それを実戦したのが、例えば連合赤軍のリンチ殺人であったり、
1980年代後半から1990年代に深刻化したイジメ問題だ。


だから「ユダヤ人」は「どこか」で永遠に存在し続ける。