今世紀の野麦峠

  • 2007/05/30(水) 21:31:30

「死」という選択を讃えるべきではない。

その先には、殉国、特攻隊のような行為を讃える
そんな価値観がある。


結果「自殺」という決断を選んだのだとしても、
その選択を評価するのではなく、生前の彼の人となりを
知る者が、その人格を、生前の行為を、業績をのみ
讃えるべきだ。

それらが素晴らしければ、結果自殺という決断をし、
それで非難されたとしても、彼の人生全てが否定される
べきでもないだろうからだ。



松岡農相が利己的に死んだとのみ判断しているわけでもない。
遺書に日本国万歳と書いていたそうだが、彼が自ら死ぬ
ことによって、何か外交的な失政の穴埋めが為された
可能性も無くはないわけで、…でもそんな裏舞台が
国民の前に明らかにされることはまず無い。

可能性であって、国民は“かもしれない”で、
政治を評価すべきではない。

やはり、どんな場合であれ「死ぬ」という決断を
評価すべきではない。自殺大国日本にあって。

個人的に、世の自殺者達の大半を、心情的には貶められない。
自らの死によって、家族を守っている。守るために死ぬ者も
相当数含まれているはずだから。借金の帳消しだとか、
保険金の為だとかで。それはお国のための魚雷に乗り込み、
飛行機で敵艦に突っ込んだ特攻隊となんら変わらない。
「いま君のために死に行きます」だ。



だから、心情的にどうあれ、どんな場合であっても、
自殺を讃えるべきではない。

でなければ、「ろくな生産性の無い人間だ!」として、
「彼らがただ死ぬだけでも、国益に適う価値がある」
という論理も立つのだから。

何も、大人が若者の体たらくを嘆き、あんな奴ら殺してしまえ
と考えている…と言いたいわけではない。逆だ。

昨今の若者の“右傾化”の内心が、それだろう…と指摘したい。

「もう何の夢も無い、ただ無駄・無価値な人生。
 誰の役に立つことも無いだろうこの命。
 いっそお国のために英雄として死ねたら…」

…そんな自殺願望の延長線上にそれは位置づけられるだろう。


「自殺はよくない」と、インターネットの自殺支援を撲滅しても、
自殺者数は変わらないだろう。現に今もそんな形で死ぬ奴は、
全体の1000分の1…0.1%未満の連中への対策でしかない。

テレビマスコミのその偽善的な報道は、単にライバルメディア
インターネットを貶めるためのプロパガンダでしかないのだろう。




若者から、国民から生きる価値を奪う…現代の水飲み百姓のような
ワンコールワーカー等々、使い捨てされる国民を野放図に放置し、
いや、国策としてそんな境遇に若者を貶めていて、また同時に、
自殺という手段がインセンティブを持つ行政構造をそのまま放置
していて、そんな中のどんな「自殺対策」も砂上の楼閣だ。


丁稚等、衣食は保証した江戸からの労働体系を解体していった
明治の労働市場解体後、「サンカ」を国に溢れた戦前の状況と
変わらない。

ああ野麦峠の情景は、程度の差こそあれ、ワンコールワーカーが
奴隷のように“買われてゆく”情景と重なる。

あの時代も、このような状況だったのだろう。

その先に、「お国のため」として、国民をあえて死地送ることを
許容する国民感情と、それを実戦する行政が行われるように
なっていった。

同じ時代感情を繰り返そうとしている。

教育する世代

  • 2007/05/25(金) 22:26:23

きちんと「教育」を担うべき能力を秘めているのは、おそらく
現在40〜30代の者だろう。

この世代は、情報技術に最初に接触した世代であって、
頭の固い老人に対しても、下手に出ながら懇切丁寧に
教えなければならなかった世代であるからだ。

それより下の世代などは、あってアタリマエで、
そんな感覚など無い人などと接触する機会が皆無であって、
想像することすらもできなくなっているだろう。


これより上の世代は、頭ごなしに強圧的に強いれば従って学ぶと
考え、教えられてきた世代であり、
どう教えれば理解しやすいか…だとか、異なる考えの者に、
「自分が理解した手順とは異なる方便を模索しながら教える」
という経験が無い。
「自分はそう理解したのだから、お前もこれで判るはずだ」と
純朴に考えている節がある。

その知恵は、今この時代、最初に述べた三十代を中心にした
知恵の継承がきちんと行われなければ、時代の狭間に消え失せて
しまうだろう。


しかし、年寄りが生まれた順による現時点での優位性を持って、
あたかもその根拠が自らの体験にあるとでもいうようにこじつけて、
“問答無用”を振りかざし始めている(品格だとか言って)。
自らの教育能力の低能さを覆い隠す格好の屁理屈になっているから、
喜び勇んで飛びついている感がある。

ポックリを望む年長者たち

  • 2007/05/25(金) 21:23:35

「例え今俺が死んでも、 
 “こいつ”が居るから心残りはない!」
「安心して死ねる!」

そう言える団塊世代、団塊・兄世代が、どれほど居るだろうか?!

それは、
安心して未来を託せる若者を、自ら育てているか否かを測る
指標である。


いつまでも第一線に居たいと願い、ポックリ死を願う無責任さ。
引継の事を一切考えていないことが明らかだ。
そんな死に方されては、残された者は迷惑この上ない。
企業の「肝」と呼べるような機密を墓場にそのまま
持って行ってしまっては、組織の存亡に関わる重大事だ。



いや、それどころか、あの世代は、
“自らの優位性を担保”するために、あえて情報を秘匿し、
若者からチャンスを奪い、梯子を外すようなまねをしている。
「それさえ有れば、定年後の再就職も断れまい…」とすら
考えているかもしれない。

「技術伝承が急務だ」と叫ばれたのが、大量退職のわずか
2,3年前というていたらくな瀬戸際っぷりが、それを
実証しているようだ。

若者の成長の道を断っているように見えて仕方がない。

若者を無能なままで放置する事によって、自らの個人的優位性を
いつまでも担保していたいと腹づもりしているのではなかろうか…。


しかし、そんなことで国として組織として人間集団として
人類として…いかがなものだろうか?!