ブームは起こせなくとも、ブームを起こす素地は準備できるかと

  • 2007/01/30(火) 21:04:44

ブームはどう始まりどう終わるのか (岩波アクティブ新書)
中川 右介
岩波書店 (2004/01)
売り上げランキング: 124552

ブームというのは人為的には起こせないと言うが、
選択肢にポジティブアクションしかないのであれば
そうかも知れないが、実際そうではない。

大衆は“長期的な渇望”に晒されれば、
枯布が水を吸うように飛びつくようになるものだ。

著者が小泉ブームを一過性のもののように描いて、
「小泉劇場」を予測できなかったのは、その面で
よく分かる。





私が思うに、例えば、
世紀末から女性が「女性らしく」女の武器を磨き始めたことは、
女らしさに目覚めたからではないと考えている。

女性の社会権が認められないまま、抱いた夢が夢のまま
あまりにも長く放置されてきたが故の、絶望の現れである
とその因果を見立てている。

その「絶望」を見てきた子供たちが、鼻から男性と同じ土俵で
戦うことを愚かしく感じ、考え、「女らしく」生きることを、
「賢い」と考えるに至ったのだろう。


世紀末前後から、いわゆる「おねえキャラ」として、
オカマタレントの支持が上昇した。あれは、

女として、女性の性としての「らしさ」などよりも、
男性が求める「女らしさ」をこそ、身につけることを
望んでいることの現れだろう。

自分が考える女らしさが、男性の側で考える女らしさ
だとは限らないわけで、いくら自分がカッコイイ、
カワイイと思っていても、モテなければ、ただの勘違い。
無駄な努力だ と言った論法が立つわけだ。



2003年の選挙での敗北は、
保守の危機感を煽ると同時に、欲求不満を押し付けた。
そのはけ口としての総選挙がブームになるのは予想可能。
のみならず、人為的操作の範疇も小さくはないはず。

巨大なロシアンルーレットの上で

  • 2007/01/29(月) 18:58:21

この国の司法は“ロシアンルーレット”のようなものだ。

犯罪者になる者は、される者は、「運が悪かった」で
片づけられるだけだから。

どんなに身綺麗に生きていても、「たまたま」「偶然」で
容疑者に成りうる。

その場合、「捜査に協力する」だとか、
「一時の治安維持のために仮の犠牲になる」だとか、
「何れ真実が明らかになれば、その犠牲も報われる」だとか
いうような事は 無い。

警察は犯罪者は「見つける」のではない。
「仕立て上げる」のだから。

裁判を通過するだけの都合の良い説明が付くならば、
強いて言えば誰でも良い。真犯人であろうがなかろうが。


運良く容疑者から外されても、ボロボロにされて捨てられるだけだ。
泣き寝入りで済まさなければ、報復として何らかの形で犯罪者に
仕立て上げられてしまうかもしれない。
(よほどの法律知識が有るか、有能な弁護士を雇う金持ちは別にして)





そんな社会では、身を助けるのは「正義」ではない。

身を助けるのは、「事実を越えた愛」である。

それは、「信頼」や「友情」だと言い換えても良い。
悪く言えば、「運命共同体」であっても同じ。

無実を信じ、協力を惜しまない友人が何人居るか。
それのみが運命を左右する。



本人の言うことよりも、警察の言うことを信じるような
関係しか周囲と築けていない者は、警察の都合の良いように、
いくらでも罪を被せられてられてしまう。

何時容疑をかけられても必ずアリバイを立証してくれるような
緊密で親密な友人関係を作り上げているだけでは十分ではない。

どんな人間でも犯罪者に仕立てしまうことができるのが、
この国の司法制度の現実だから。

それは
「誰でもいくらかは臑に傷を持つものだ」とか
「叩けば埃が出る」というようなレベルの話ではない。



自分の趣味や仕事に熱中して接待等に代表されるような、
人間関係を比較的忌避しているような連中は、
犯罪者予備軍」だとも言えるかも知れない。

いずれ犯罪を犯すだろう…という意味ではないので、
容疑者予備軍」と呼ぶべきだろうか。

アリバイの無い人間のストックは、検挙率アップの為の
都合の良い人間群であり、彼らを社会的に抹殺しても、
ほとんど誰も悲しむ奴は居ない。
苦情が立ち上がることも無い。


いやむしろ、よく分からなくて不安な要因が消えてくれて、
近所は拍手喝采だろうし、「やっぱり」の一語で尽きてしまう。
都合良く作り上げられた極悪人としての人間像を否定する情報が
民衆に提示されることはまず無く、極悪人に制裁を与えたとして、
賞賛されることはあっても、糾弾されることなんかまず無い。

警察の主張に矛盾や手落ちがある事に気がついても、いちいち
それを指摘するような酔狂な人間など居るはずもない。
そんな正義感に何のメリットも無い…のみならず、そのような
行為に出る者は、治安に対する不穏分子としてブラックリストに
載るのがオチだ。“百害有って一利無し”。

大人の特権としての自殺?

  • 2007/01/28(日) 12:56:15

イジメも自殺も、マスコミの議論の中では、
あたかも“大人の特権”になってしまっている。

「子供の内は、判断力が無いから絶対に自殺はダメだ」とか
「大人の社会にもイジメはどこにでもある」だとか。


そのような言論からどのような価値観が作られるか。

「早く大人になりたい」「早く一人前になりたい」
そう思い詰めている子供の側では、そのような
大人が禁止している行為をあえて行うことが、
あたかも「大人の証明」であるかのようになってしまう。

運転免許証の交付資格としての年齢だとか、
飲酒や喫煙が認められる年齢だとか、それが
可能であることが、逆説的に大人の証明と
なっているのと相似の構図が芽生えている事に、
大人の側は、もっと自覚的であるべきだ。