命の軽視はTVゲームに始まるのか?!

  • 2006/11/26(日) 00:18:23

TVゲームのリセットボタン

子供の「命の軽視」の根元的理由に祭り上げられている。
果たしてそうだろうか?!

そのような論説を尤もらしく唱えておられる大人たちの
原体験には“ヒーローごっこ”があったではないか?!

あれなども、敵役は何度でも殺され、何度でも生き返った
近くは仮面ライダーやウルトラマン。古くは鞍馬天狗だか
黄金バット…いや、忍者活劇だってそうだ。いや、能や狂言に
までに系譜は辿れるであろうし、有史以前にまで切れやしない
だろう。

その“命の都合”などは、ヒーロー役の子(ガキ大将?)の
“さじ加減”であって、彼が満足するまで何度でも何度でも
“殺され”、“生き返らさせられた”であろう。




いや、今では誰もが精神教育に必要だと叫びがちな「道」。
その一つである剣道の、例えば「三本勝負」だって同じだ。
そこでは、“唯一の命の大切さ”を歪めている。

真剣ならば一本を取られたら、確実に死んでいる。
「三本勝負どころか、二本目すら無い」のが現実だ。

え? 「剣道は痛みを伴いゲームは無い」?!
それだって程度問題だ。TVゲームだって思い通りにならない
ゲーム世界の“現実(ルール、法則etc)”の前に辛酸を舐め、
屈辱で心が痛む。入れ込めばマメも出来るし、肉体的にも
痛い。
そして当然のその剣道だって「なるべく痛みを無くす」為に、
防具は開発・進化を辿ってきたのであろうし、その竹刀の
撓りだって、ダメージをより少なくするために発明された
のではないか。竹刀なんかより木刀で直接打ち合う方が
より痛みを伴うし、命に関わる。真剣さが違う。
どうだろう?! どちらも目指す先など変わりはしない。





ここまで言えばお解りだろう。

ゲームが「簡単にリセットできるから」だからこそ、
「命の大切さが見失われる」という論理そのものに、
過ちがあるであろうことに…。




剣道の「三本勝負」も、TVゲームのそれも、2度目、3度目と
何度でも再チャレンジがあることを当然としている。
そして、そのチャレンジの繰り返しによって、身体技能だとか
知恵だとか、文化だとかを伝えている。漢字の書取練習や
公文の計算練習となんらかわりない。それこそが修練・鍛錬だ。

その“伝えている内容”の中身こそが問われるべきだ。

道徳的に良い悪いのみならず、現実的利益をもたらしうるか
どうかなどを。


それは、歴史には無いと言われる「もし」を考えることであり、
その可能性世界を拡大させる疑似体験の総体としての「繰り返し」
なのだ。

バーチャルリアリティによって、パラレルワールドを想像し得る
ようになる。言い換えれば、異なる立場を想像することに慣れる
事によって、他人の立場、他人の痛みを理解するようになれる
…という発展を期待できる。ではないか?!