語られるイジメ加害者の体験談

  • 2006/11/25(土) 12:16:29

社会的成功者が、いくら「後悔している」と、罪の意識を
いくら吐露しても、何の解決にもなるまい。

「ああ、イジメをやっていても、あんな風に成功できるんだ」

子どもが受け取るメッセージはそのようなものになるだろう。



それが直接ではなく、間接的荷担でしかないものであっても、
イジメ加担者として、贖罪のために何をしたのかを語らねば、
子どもに対してイジメ抑制には繋がらないだろう。

どれほど後悔し、苦しんだかを。
そのもやもやを払拭するためにどのような負担を今も負っているか、
それがリスクになっていて、イジメをせずに済んだ者をどれほど
羨ましく思っているかなど、真に迫って語られていれば、それを
受け取った子どもの側も、今の行いに躊躇を感じるだろう。

例えば「犯罪者が、逃げおおせても、時効を迎えるまで脅え、
心疾患になりながら日々を暮らしている」というような
“フィクション”は、オイルショック後の相当期間にて
多くの国民に対して犯罪抑制となっていたのではなかろか…
‥と、私は感じている。

そのようなフィクションを提示できないのであれば、不用意に
イジメ荷担体験を語るべきではないように思う。


そして、おそらく。成功者はイジメ体験を悔いてやしない。

むしろ、そこでの体験や(多少はあったであろう)後ろめたさが、
…例えば作家にあっては人間の心理描写を深める糧になった。
でろうし、…多くのホワイトカラーにとっては、縁故による
出世の処世術を深めたであろう。その先に談合のような
共犯関係によって強まった結束力が構築されている。

イジメられる側ではなく、イジメる側に回ること。
…少なくともそう思われるポジションを示し得ることが、
この国での成功の秘訣となっている。