性欲誘発の実

  • 2006/11/13(月) 12:54:24

桃太郎は桃を食べた両親から生まれる。
桃を食べて盛を取り戻す故に、桃によって生まれた子ども。
だから「桃から生まれた桃太郎」なのだろう。


さて、西欧ではどうだろう。
美女と野獣やラプンツェルは、盗みを犯す事で得た果実によって
娘を得るという描写がある。

「拾う」と「盗む」では道義的に大きな違いがあるが、
「先進的異文化からの未開人が得た果実」という意味では
相似していると言えよう。

そして、西欧のそれら物語では、果実と出産という因果関係を
所有権の正当性へと読み替える。

魔女として描かれる庭の地権者は、盗んだ果実の代償として、
果実を食すことによって得た美しい娘を要求する。


そこに文化的違い…というか、言語化論理化に偏重すぎた
「形而上至上主義」とでも言うべきものとして私には見える。
「はじめに言葉ありき」をドグマとするキリスト教文化圏だ
と言ってもいいかも知れない。

逆にそれが無い日本の童話は、動物的に健全であると言えようか。



…とはいえ、童話は真実の側に立っている。
そのような形而上至上主義を振りかざす権力者は魔女として描かれる。
本来あるべき姿ではないとして描いている。

そこに、どこか昨今「負け犬」と呼ばれたキャリアウーマンを見る。

社会的成功故に、邸宅を持った…ある意味で成功者と呼ばれれるべき
であろう彼女が魔女と呼ばれるのは、彼女がその表面的な成功の陰で、
配偶者を得るチャンスを逃し、子どもを育てる喜びを得られなかった
悲しみが、魔女という変異した存在にさせているのだろう。

得たくても得られなかった娘を得るには、屁理屈としか言い様のない
悪しき方法を用いなければならない。反自然的な方法論でしか
娘を…後継者を得られないが故に、否定されるべき魔女なのだろう。

そして、娘を成長し恋愛や妻になり母になる喜びから遠ざける存在
でもある魔女とは、例えば現代において、ジェンダーフリーを
ただ“女性の男性化”を望むだけの歪んだ主張として語られる
言論の中にも見え隠れする。生物学的な性差の否定。それは
血を受け継ぐ存在としての動物である人間の否定でもある。

永遠の存在である神との一体化・同質化を望んでいるのだと
言っても良いのかもしれないが…。