イジメとイタズラを区別せよ

  • 2006/10/20(金) 12:49:35

イジメ。自殺にまで追い込むその何が問題なのか。

“イジメの実体”として報道される“直接的行為”。


そんなものいくら根絶しても問題の直接解決には一切向かわないだろう。

ただ、イジメの行為が陰湿化するだけ。
のみならず、人間関係の「あそび」が失われ、
社会全体が、より病的な状況へと向かうだろう。



イジメとイタズラのその根本的な違いは、
謝罪の有無だろう。

イジメと区別されるべきイタズラは、教師に叱られ、
外形的にであれ、(教室内)社会の中で謝罪を強いられる。

軽い言い回しをすると「仲直りしなさい」であり、
「握手」等のスキンシップを伴う接触が儀式化され、
一体感へ回帰する構造を持っている。



イタズラという「あそび」は、創造性の根元であり、
それは失敗や不愉快を伴うリスクであるが、
その中に「雨降って地固まる」のような…または、
シャーマンのトランスのような…関係を混ぜ合わせる
「必要悪」が含まれている。

そして、その先に生活を変えるようなアイディアを産み出される。

例えば私は「発明の母は怠慢の心」だと考えている。真面目で
どんな不合理も従順に従っているだけような支持待ち人間では、
生活改善をもたらす発明も、組織構造を合理化する改革も決して
成し遂げられはしないだろう。いや、真面目な者は、そもそも
そんな発想を持ちやしないし、そんな視線を向けやしない。


もちろん、そこには完全な自由がただ有ればよいのではない。
制約の中に束縛されつつも抗う中で産み出される。
テーゼ→アンチテーゼ→ジンテーゼの関係とでも言おうか。

社会のルール(不愉快非合理を含む)をいったん受け入れ
それを転換させる運動。それこそが人間関係を重厚に濃密にする。