フリーライダーと狩猟採集民

  • 2006/10/15(日) 18:42:30

狩猟採集民は、農耕民に対立させられるように、
絶滅へ向かう一方向の歴史では、おそらくない。

都市民は、単一ヘゲモニーに組み込まれた完結社会集団
という意味で農耕民と同じカテゴリーに序列されるだろう。


そして、そこでの都市民の中のフリーライダーと呼ばれるような連中は、
そこにあるもの(公的サービス)を、ただ“そこにある”という理由で
当然のように利用する。そこに自らも投資しているようとうな一体感や
それが維持される為に担うべき責任感など一切無い。

その者の意識や行動パターンや道徳…と言うと原理主義的人間には
誤解されるだろうが、それがどんなに理解し難くともぞれ異なる
規範があるものだ…に、狩猟採集民のそれと類似性が見出せるだろう。

彼らは、“そこにある食える物”は、天然に成っていようが、誰かに
栽培されたものであろうが、区別無く当然の様に食べる(入手する)。

だから、農耕民の苦労など知らずに、畑を食い散らかすイノシシのように
傍若無人に手をつけるだろう。その特徴を学習すれば、人を襲う鬼の
ように、集落を標的にして略奪をして歩いただろう。

ただ、脳ある人間であるから情もあるし学習もする。その苦しみを知れば
妥協も交渉もするようになるはずだ。その先に商隊・商人のような形態へと
発展したものもあろう。当然のように、農耕社会の中から分離する形で
生まれる狩猟採集民的処世術集団だってあろろう。




両者の関係は、一方的な浸食史でもなく、また集合史でもおそらくない。
離合集散の繰り返しだったろう。
例えば、零落した貴族が地方で海賊になったり、また、農耕をもたらした
民族がその指導的特権的立場から、ただ搾取するだけの存在に転化したり
だとか…。