形態ギャグと健康

  • 2006/10/05(木) 21:21:04

奇抜な動きが流行する。それは時に下品な動きだったりする。

最近ではHGという芸人の腰振り。同時に
あるある探検隊をネタとするレギュラーという芸人も、
そのブレイクに「腰振り」が下支えしていたのかも。

それを下品だからだとして、簡単に否定して良いものか…。

流行るだけの潜在的な必然性があるのだとしたら、
力で封殺することは、その病理を治癒する機械を失う
事にもなりかねない。



例えばそれら形態ギャグが、日常的に使われていない眠っている筋肉を
使った動きになっているの…ではなかろうか。人はそれを見た瞬間、
脳内のミラー細胞が活性化し、連鎖的に、その神経が、使われて
いなかった部位を刺激し、ストレッチに似た「快感」を見る者に
与えているのではなかろうか。

現在流行しているその動きは、
腸腰筋や大腰筋の動きであって、その老化・弱体化は
今流行のメタボリック・シンドロームとも深い関係性が見出せよう。



一昔前の「シェー」や、「コマネチ」にも通じるものが
あるような気がする。

「シェー」に関して言えば、肩こりを癒すストレッチと類似性が高く、
ホワイトカラーやコンベアー作業員らが急増する時代背景が見立て
られるよう。
「コマネチ」は、そこにある主要なリンパ節を刺激する動きでもある。
国民の免疫機能が全般的に落ち、アトピー・アレルギーが問題として
表面化した時代でもある。


その時代の病理との関連性も見えてくるような気がしないだろうか?

東洋医学からすれば内臓器官などと密接な関係を持っているとされている訳で、
そこで刺激される指の細かなつぼの配置が、時代の病理と関連性が見出せる
のだとしたら、「ゲッツ!」や「ガチョ〜ン」等にも、有意な関連性が見出せる
のかもしれない。…そう考えるととても興味深い。

「愛国」を強いられるのは「国の外」にいる者

  • 2006/10/05(木) 12:18:57

三島由紀夫「
愛国心の「愛」の字が私はきらいひである。
自分がのがれやうもなく国の内部にゐて、
国の一員であるにもかかはらず、
その国といふものを向う側に対象に置いて、
わざわざそれを愛するというのが、わざとらしくてきらひである。
もしわれわれが国家を超越してゐて国といふものをあたかも
愛玩物のやうに、愛するといふのなら筋が通る。
それならば、本筋の「愛国心」といふものである。

彼もまた、主格として国家に対しているところが、戦中と大きく異なる。
のではなかろうか。彼もまた戦後に染まった人間とも言えるかも。
ただ、国家と自分が…どんなにそれが不満足なものであっても…
切り離せない関係にある…という現実に強く自覚的であるのだが。


ここで指摘されたとおり、「愛国」というのは、
「国」と「切り離された存在」が使い、また強いられるものなのだろう。

彼が言うように、国を私有化した私有者が、あたかも道具のように
「愛国」といって、自分の好き勝手き改造し、玩具にする。

そして、その指導者に“いいように使われる”大多数の国民は、
国の意志決定に関与することままならず、そこから排除され、
切り離され、国の意志決定機関との間に情報の繋がりは一切無い。
だから、邪魔ならば平然と殺される。お荷物は簡単に見捨てられる。
死ぬと解っていて死地へと送られる。特攻の道具にもさせられる。

「愛国」という言葉によって、共同体からの排除か帰属かを、
選択させられる。

命令に反対すれば、「非国民」として民族的アイデンティティーを
否定され。取り上げられる。打ち砕かれる。
従えば、自らの意志とは無関係に、死を前提とした作戦に投入される。
どちらを選んでも「死」しか待っていない。

それが「愛国」を前にした、「国家」と「国民」との関係なのだろう。

決して一体となれない、いや、死によってのみ一体となれる関係。
それが「愛国」の前での「国」と「国民」との関係。
それは決して触れられない「神」と「人間」との関係に似ている。