メオトの価値相対化

  • 2006/09/02(土) 18:23:30

価値相対化するならば、少なくとも2つのモデルを作らなければ
ならない。

例えば、戦後「男尊女卑」を糾弾する勢力が力を増し、
…政治の場ではそうでも無かろうが…庶民の間では、
ほぼ「女尊男卑」な状態になった(故に、「昨今の男は
軟弱だ」等という言説が説得力を持つ)。

そこで、「家庭」という集団単位を認めないならば別であるが、
役割分担という意味から、少なくとも二つのモデルが求められよう。
誤解を恐れずに言えば、「男尊女卑モデル」と「女尊男卑モデル」を
共に均衡したモデルとして社会に位置づけられるように、社会制度の
側から調整しなければならないはずだったのだろう。
…いや、やはり誤解を怖れるので注釈するが、ここでの尊卑とは、
人格的な格付け等では決してなく、単に収入面での多少に過ぎない
ものを、あえてそう呼んでいる。


しかし、口先で「男女共同参画社会」等と語っていた連中は、
腹の底で「男尊女卑モデル」の社会制度を強固に温存してきた
のであろう。その面従腹背が一方のモデルのみを富ましてゆく。

趣味も無く働く男と、家でごろ寝テレビだけの女というような
家庭を経済支援するような形で。


いや、なにより、男尊女卑と女尊男卑というような二項対立では
終わらない。ある意味で、「男尊女尊モデル」と「男卑女卑モデル」
とでも言うべき二極化が押し進められる事になった。
いわゆる“勝ち組・負け組”だ。

共に高収入の共働きで、資産家ではあるが真っ当な家庭生活のできない…
資産活用もできない家庭と、
共にろくな職も無く、時間的余裕があっても子育てすらおぼつかない…
生活費すら困窮した家庭とに。


政府は戦前の優勢思想でもあるのか、その子育て支援は、
「2人目以降を作れるように」…という形を率先して行い、
「一人も持てないような奴は作らなくて良い」とでも
言っているかのようだ。それはあたかも、
「貧乏人は子どもを作るな、犯罪者になるだけだ」と
思っているっぽい。



価値相対化の弊害とはそういうところにある。例えば
いわゆる「負け犬女」もそう。

先の意味での女尊男卑的な社会進出を勝ち気順に置いて
生きているくせに、どこか古い白馬の王子様的な…
「自分より年収の高い男じゃなきゃ魅力を感じない」
という二律背反な価値観の狭間で、結婚できないでいる。
もしくは、結婚できても、優秀な旦那にライバル心を
燃やしたり劣等感を抱いたりして、離婚に至る。

社会に出ることで家事がおろそかになるのは男女問わず
直面する問題であるのだから、男女関係無く、高収入でも
長束縛である職場に身を置いていれば、家を担う者が
必ず必要になる。そのように分業しなければ、二重苦に陥り、
社会でもライバルにハンデを負って闘いを挑まなければ
ならないじょうたいになる。

家事と仕事の二重苦から、仕事を辞めるにしても、
家庭生活をあきらめて一生独身を決めるにしても、
ひどくアンバランスな人生を歩む事になる。


逆に言えば、家父長的価値観を持った男が、いわゆる「弱い女」を
求めるのも至極当然であり、負け犬女のような選択をすれば、
家庭と社会との役割分担が順当に機能しなくなるのが判っている。

もちろん…尻に敷かれて、鵜飼いの鵜のように男が社会に出て、
女は鵜匠のような家庭というものもあろうが。