「働かざる者食うべからず」

  • 2006/08/30(水) 18:56:59

この言葉が“all or nothing”を意味しているのであれば、
酷く民主主義に悖る非人間的な言葉になる。

しかし、程度問題を説いているのであれば、至極真っ当な
言葉であろう。

動物は総じて、運動量に相応したカロリーをオーバーして
摂取すれば、必ず、健康状態に異常を来す。
「生活習慣病」というのはその最たるものであるが…。


働かない者…運動量の少ない者…は、その者の健康を考えても、
食べる量を控える事が慣用である。至極当選の話として。


働きの悪い者…稼ぎの少ない者…には、食事を一切食べる権利など無い!
そう断じてしまうのであれば、それはただの弱肉強食。間引き社会に
他ならない。




ちなみに、その“対極の形”がバブル前の日本を支配していた。
いわゆる「悪平等」だ。

学校給食の場で、「公平・平等」のスローガンの元、
個々人の体格差に関係無く、一切均等に分けて盛りつけ、
誰もが綺麗に残さず食べなさい! という道徳をも押しつける。

背丈も胃袋の小さな音無しい子どもにしてみれば、一種の拷問であり、
体格も大きく落ち着きの無い子どもにしてみれば、とても満足の
できない忍耐であったろう。

「食べた分だけ動け」という先行投資的な発想から、
「動かない子どもが怠慢なのだ」という論理もあったろうが、
度が過ぎている。

均等配分にそこまで執着し拘っていたのには、教師世代において、
戦中・戦後の物の無かった時代における国の配給制度の影が
強く残っていた…というのもあろう。
「残さず食べる」という感謝を仕付ける意識と共に。

そして、
親・祖父は、子・孫に、自らが空腹で満足に食べられなかった記憶を
一方的に投影し、執拗に「食べよ」「食べよ」と無理強いした。
親孝行お爺ちゃん孝行の子どもほど、無理しても笑顔で口にしたろう。

もちろんその後のTVゲーム等室内娯楽の充実や、幼き頃からの受験勉強
によって机に縛り付けられている事も大きな問題である。消費エネルギーは
減りながら、摂取カロリーは闇雲に増え続ける。

成人病(生活習慣病)が低年齢化し、子どもにこれほどの健康被害が出るのも
ある意味で必然だった。

親を尊敬せず、それに逆らう“我が儘な子”が増えていったことも、
「体と会話して、体に無理してまで食べようとしない」ように振る舞う
ためには、その問題を深刻化させないために必要な「本能」だった
のかもしれない…。あの時点(1980年前後)においては。

聞くべき「子どもの言葉」

  • 2006/08/27(日) 18:51:56

子どもの言葉を聞くべき」と言うと、
反対派からは辛辣な反論が返ってくる。

未熟な子どもの主張をその言葉のまま受け入れるのか?」と。


「子どもの言葉を聞く」という言葉の意味はそんなものではない。
子どもの主張そのものの中に、その子ども自体を掌握し、大人が
“子どもを手のひらの上で転がす”ために必要不可欠な手段である。
だからこそ、「子どもの言葉を聞く」事が、等の大人にとって必要
なことであり、そう振る舞った方が楽で容易であるはずなのだ。

「洗脳原論」のデ・プログラミングにしても、
「窓際のトットちゃん」の園長先生だってそう。

「子どもの言葉を聞く」ということは、WIN-WINの構図でもある。
“喋り尽くさせる”ことで相手を無防備な丸裸にするのだ。
語るに落ちる」という言葉もあるではないか。



しかし、何故今時の「大人」には、それが出来ないのか…?

一つに、戦前から高度経済成長期までの、…切羽詰まった緊急事態にあって
問答無用のまま、力と権威で服従させられてきた状況…が、物心に染みついる
ものでもあるので…それこそが平常の状態である…として捕らえている
のではなかろうか。

とはいえ、その常識にも断絶はある。
敗戦間もない混乱期〜高度経済成長が軌道に乗るまでの混沌の期間では、
大人にもその余裕が…いや、余裕とは不適切か…目的の見出せない迷いや
目標も無く打ち込む仕事も無い時間を子どもに向けていた断絶期間がある。
その時代の落とし子たちは、判っているはずなのだが。

「大人」ってなんだ

  • 2006/08/24(木) 12:13:53

昨今
哀川翔が理想的な大人として語られたりもする。


しかし、その理想とされる行為は、「大人」だから
ではなく、これまでなら「子ども」と言われていた
形質によってもたらされているのではないか。

彼は大人になっても「子どもっぽい理想」を持ち続けているから、
大人としても「悪いことは悪い」とハッキリ言えるのだろう。

「大人」とは、「世の中複雑で理想通りに行かない事を知った者」
だとされてきた高度成長期以降の価値観にしたがっていれば、
そんなきれい事は言えないだろう。自らに後ろ暗くて心苦しくて、
言っても躊躇してしまう。その「言い澱み」を子どもは見逃さない。
よほど腹黒い者でなければ、子どもを謀れない。


彼はあの歳で昆虫大好きでカブトムシを飼っていたりするらしい。
そんな子どもっぽい「子どもと共通する価値観」を持っており、
同じ土俵で…逃げることなく…ある意味では大人気無く…、
子どもを組み伏すのだろう。その力の差によって子どもの尊敬を
引き出す。それは単に大人の成人としての腕力と、ただ長生きした
という経験差とによって…であったとしても。