客観的な立場からの評価

  • 2006/07/24(月) 18:32:54

プロスポーツ選手を見て…例えば日夲代表に対して、

あれじゃダメ(世界に通用しない)だ!

…と言う場合。
発言者はこんな非難が浴びせられもする。

自分の事を棚に上げて!(非難するのは悪だ)」

…と。



仮に、「自分なら、あんな失態はしない(自分の方が上だ)」と、
自惚れた傲慢な意図であるならば、努力してその地位にいる
代表選手に失礼であるし、酷い見下しであろう。
叱責されてしかるべきである。

しかし、多くのスポーツ観戦者は…代表選手から漏れた選手に
代表以上の才能を見出しそれを評価している場合を除いて…、
現時点で最高のメンバーが集結している事を、当然の事として
前提にしているはずだ。

そこでの「ダメだ」という評価に、それを言った者に対して、
傲慢な自己認識が伴っている…などと断じるべきであろうか?(反語)



では
「足を知る」「自分基準」を絶対視して、戒め、常にそれに基づいた
他者評価をせねばならない…とするべきであろうか?

…であるならば、
相手が自分より秀でている事が明らかであることによって、
大衆側は「必ず世界一になれる!」等々と、誇大に
応援・評価すべきなのだろうか? …それこそ歪んでいる。

代表落選者ですら、凡百の観戦者よりは確実に優秀である。




…と言うのも、今回のワールドカップの日本代表に対する評価なり
期待なり事前評価を他人事として聞いていて、そのようなものを
漠と感じたから。

政治においても、自分で考えることを放棄して、現政権を絶対的に
支持する者にもそのような傾向を見出す。
政権批判する者の意見も聞かずに、反対意見であることだけを
理由に、「反対は良くない」と。「ダメだダメだではダメだ」と。

反対のための反対はなんら建設的なものは無い。しかし、代替案も
あり、明確なデメリットを指摘しても、それらを無視し、反証足り
得ない明確な理由も検証も、なんら説明もせずに、無言で強行する
そんな政治を支持していて、「ダメだダメだはダメだ」よりも
ましだ…などと言えようか?