幕末における文化的断絶

  • 2007/09/17(月) 12:14:23

日本はなぜ「和魂洋才」のようなツギハギへ流れていったのか…


江戸幕府は早くから外交は行いたのだが、海外からの外交官と接し、
天下国家を論じ合う中で、その国力や国家管理制度の合理性を前に、
思うに「対等に創部できない」「勝てない」と悟ったのでは。
いや、思い知ったのだろう。昨今の日本の政治家のように。

だから、彼ら政治家であり官僚でもある武士達は、その自らの
起源である武士…剣士であり兵士である本分をもって、彼ら
軟弱な海外の交渉者らに対する優位性を示そうとしたのでは
なかろうか。自慰的に。逃避的に。陰ドーダ的に。


その為政者の中での武士足ろうとする態度が、言論が、
子や大衆に伝播して、幕末・明治維新の剣道道場が繁盛して
いたのではなかろうか。陰ドーダの陽転。
そして、それにこそアイデンティティを見いだし、その場での
優秀さを実戦・立ち会いで勝ち取り、揺るぎ無い自信を持ち得た
その道の実力者…多くが下級武士達…を実政治の道へと走らせた
のであろう。

そのようにして、日本の政治は、本来の政治・行政をになうべき
頭脳を失ってしまったのではなかろうか。陽ドーダの作る空気に
逆らえず、理が情に負け、問答無用となり、半ばクーデターのように、
陽ドーダの申し子たる剣士らによって、政治中枢を乗っ取られて
しまう事によって。


しかし、国として諸外国と渡り合い、国内を統治するには
何らかの仕組みが無ければ回らない。そこで安易に諸外国の
制度を継ぎ接ぎして生まれたのが明治新政府ってことなのでは。

政治的実力を伴わない彼らは、先達のように異敵の政治制度に
コンプレックスを感じることもなかったが故に、陰ドーダを発動
することもなく、素直にそれらを受け容れていった。

ここに政治的制度的連続性が断たれる。

故に、江戸の知識が多く失われる事になった。



…ってのはどうだろう。

豪傑君…公益的自殺願望

  • 2007/08/01(水) 12:57:58

三酔人経論問答

そこで豪傑君の主張したような、
「社会のガン」を一掃して道徳の国を作る奇策。

好戦的な国民を「他国に遺棄」する為の戦争…。
それは、著者は西郷に始まるように言うが、
例えば、秀吉の朝鮮出兵なども、見ようによっては
正にそれに同じだではあるまいか。

太平洋戦争での進行の一部も、そうとしか考えられないような
自滅行為・全滅作戦も散見する。兆民の予言したように…として、
この他国での自滅戦争とその後の経済発展の対比を歴史で見れば、

先の「秀吉朝鮮出兵〜元禄繚乱」
もっと遡れば「白村江の戦い〜飛鳥文化」
もしかすると、「倭国大乱〜大古墳時代」も
それに対比しうる構造があったのかもしれない。

そのように見てくると、「太平洋戦争〜高度経済成長」の流れも、
奇跡だと言うよりも、ある意味で歴史的必然なのではなかろうか?!
…とすら思えてくる。

蛇足ながら、
アジアの島国として描かれたトマス・モアの「ユートピア」は、
正にそのような戦争制度を国家の制度として採用している。

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転変するドーダのルールと前適応

  • 2007/07/25(水) 12:30:27

前適応した者は「裏切られた」と思ったろう。



「陰ドーダ」は、それがドーダとして認知された時点で、
「陽ドーダ」と変わらないほど自明なものとなる。

例えば「バンカラ・ドーダ」
初めは「陰ドーダ」であったろうが、それが「カッコイイ」と
認知された時点からは、その内容ではなく外見からドーダ合戦が
始まる。

清貧の末の「結果として」の衣服の破れや、お古としてのガクランの
それらは、「作意として」、意識的に破いたり、わざと乱暴に扱ったり
外見の見せかけだけでのドーダ合戦が始まる。それはファッションとなり
「陽ドーダ」そのものも同然になる。

少し前のビンテージ・ジーンズのようなものの流行も似たようなものだろう。
流通前の製造段階であえて自然なように傷物にすることが機械化までされて
いる。バンカラ・ドーダはそこまでファッション化される事はなかったが、
マンガ等で一つのキャラクター類型にはなっていて、その姿を留めている。

ヤンキー・ドーダは茶髪ドーダまで受け継がれ、1990年代中頃には、
髪を染めないことが異常なほどに常識化された。あの時点では、髪を
染めないという決断の方が、流行に流されない自分という意味で、
「陰ドーダ」となっていたように思える。

今世紀に入り、「ホリエモン・ドーダ」とでも言うべき「儲けるが勝ち」が
ドーダとなった。それは正しく「陽ドーダ」そのものだと言うべきもの
ではあるが、その発生は「陰ドーダ」として発生していることを見逃しては
なるまい。

あれが、ドーダ足り得たのは、「社民ドーダ」とでもいうものが、戦後の
長期間「ドーダ合戦」の「ルール」のようになっていたからだ。
それを発する者が欺瞞であり、利己的に“社民的発言”をしているだけ
ということが半ば自明になりつつあった頃から、その欺瞞を見抜いている
者として、金があることに自虐的にならずに、貧乏人の僻みを恐れる
こともない強い人間であるという社民ドーダの中での「陰ドーダ」として
金持ち自慢ドーダが許容され始める。陽ドーダではなく陰ドーダとして
それが為されるが故に、それがドーダとして許容されることになる。
しかしそれが「陰ドーダ」ではなく「陽ドーダ」としてドーダされ始めた
段階が、ホリエモン・ブームとなった。
彼が、彼の体現する価値観が、社会的制裁を受けることとなったのは、
それが「陽ドーダ」であったからこそ…だと私には思える。