亀田ツンデレ論

  • 2007/10/29(月) 12:21:23

亀田興毅の口癖というか口振り…、

「〜〜〜〜やから

」…その音を添える意図…とまでは言えないであろうが、
無意識に込められている…心情は、何か。その疑問形にも類する
この用法は、相手に同意を求めている感情が隠っているのだろう。…注1

方言、関西弁を指摘しているのではない。関西弁で言えば、
ガラ悪く「〜〜〜だわ!!」と言っても良いような場面でも、
彼は早くから、「〜〜〜な」と用いてきた(ように記憶する)。



何故、そうは言えなかったのか?
自らに自信を、確信を持ちえていなかったから、が故であろう。


思うに、元々彼の人気は、
マスコミが誤解しているように、「強いヒール」にあったのでは
無かったように私は思う。上記のように、その証拠は予め提示
されていた。


では、彼は何故支持されたのか。
それは、ヲタク用語で言う「ツンデレ」だったからだろう。
この言葉の流行と、一般での亀田家の人気とは不可分にリンク
相関していたのだろうと考える。

「ツンデレ」この言葉も「萌え」なる用語と同様に、元々の用法と、
流通・消費されている内容との間に齟齬があって、流通している意味で
この言葉を用いるが、その意味は凡そこのようなものだろう…
本来弱い者が、無理に強がっている姿」。その態度をこそ、この
言葉によって支持していたように思う。
自らを客観的に受け入れて、駄目な自分を駄目だと認めてしまい、
向上心を放棄してしまう者の多い中で、それを内面では自らも認め、
自覚しているにもかかわらず、口には決して出さず、強くありたい
と望む決心を言葉として表明し、自分を追いつめ、強く成長を望む。

その姿を、態度を、「ツンデレ」と称して、評価する。

評価・支持する側の、自らの「下流指向」と対比して頭が下がる。
同時にまた、「本当は弱い」その存在を、「驚異」とは感じない
が故に、野放しに放置する事にも躊躇が無い。手のひらの上で
遊ばせているような甲斐性を伴った感覚で、愛でている側面もある。
(これは、「あんたバカぁ!」な台詞で受容された「女の子に
叱咤されたい」というマゾ的な願望の延長線上にもあるのだろうが。



TBSを含め、亀田騒動で偉そうな説教くれる連中も、
こういったブームの本質は全く見えていないのだろう。

単に「強弁がウケている」と、表面的に浅はかな観察をし、
「単純な強さを求める」=「世間は子供じみている」と
短絡な推論を働かせているのだろう。

だから、彼らの中に見いだすべきポジティブな側面を見落とし、
「なにやっても良い」という風潮だけが蔓延しているのだと
嘆き、世間を見下す

同じように、TBSの側も、反則じみた亀田家の行動をも、
「視聴者の側に立っているつもり」で弁護し、煽る。
視聴者の代弁者を演じている気になっているのだろう。
が、その短絡こそが、視聴者を見下し、バカにしている
態度そのものであることに、気づかない。

気づかないが故に、亀田家ブームに注目した視聴者の側に、
視聴率を与えた視聴者の側に、責任転嫁をする。
責任転嫁させる事によって、自らの正当性を担保しようとする。


そこは、脱線事故を起こしたJR西日本と似ている。
「利用者が求めたからだ」その発言の一部は間違っていない。
利便性を利用者が求めるのは当然だ。

が、利用者はその利便性の向上の為に、どの程度のリスクを、
代償を必要とするか、が問われていない。あの事故の後に
明らかになったような利益主義や、運転手を過酷な環境に
追いつめていると知っていたならば、大多数の利用者は、
それほどの利便性を要求しただろうか?!
大衆は「否!」と答えるだろう。と私は信じたい。

マスコミも、それと同じような責任転嫁を演じている。

利用者の利便性を求める声を、社員に過重労働へ追い立てることが
要求されたのだ…とみなしたように、
亀田ブームをもって、大衆が、傍若無人な無法者を求めているのだ
…と一方的にみなし、その前提で脚色し、煽っていた。

しかし、マスコミが見誤っていたからこそ、亀田ブームは、
アンチ亀田ブームへと転化していったのだろう。

これが「見誤っていたのではない」…とするならば、事はもっと
恐ろしい。彼らは完全に「生け贄として仕立て上げらえた」とも
言えるのだから。ホリエモン・ブームで何も学んでいなかったと
考え難いという時代性から考えると…。






注1>
私はこれを非難めいた特徴だとは捉えていない。むしろ逆。

それはキムタクのモノマネされる口癖「〜だよね?!」と同じ。
周囲の反応に敏感である証左であろう。彼もそうであるように、
であるが故に、周囲の求めるものを素早く繊細に察知し、
その期待に応える反応を細やかに体現することができている
(言ってしまえば、これこそがその彼の人気の神髄なのだろう…)。


それとは逆に、
例えばカンニング竹山が“マジキレする芸人”として注目を受けたが、
彼がブレイクしたと言えるのは、彼が“素では全然キレない”と世間に
知られてからであろう。あれが「キレ芸」である「キレキャラ」だと
その認識の上でもてはやしているわけだ。HGにしてもそう。彼が
本当に男色なのだと信じていたら、おそらくあのような支持はされな
かっただろう。
芸として、キャラとして、演じていると判っているから支持できるのだ。
TVドラマを嘘だと知って楽しむのと同じだ。そこで悪役を演じている
役者が、日常でもあのままの人間だなどと誰も考えないように…。
…いや、3,40年前までは混同する人間が居た。年寄りの中には。
それと同じく、芸人の芸に対して、アレを素だと信じる者も、
今の年寄り連中には居たのだろう。
そういった老害な連中が、亀田ブームを「民衆はヒール支持だ」と混同し、
ミスリードさせていったのではなかろうか…。

亀田ファンとOK農場(NO)

  • 2006/08/17(木) 17:16:57

ガッツと亀田陣営との対立軸は、共に“日本のため”に
という気持ちの反映であることがおもしろい…というか
皮肉だ。


一方は、
同じ“日本人”の栄光は(どんな形であれ)日本人として誇るべきだ。
…というもの。「自虐は駄目だ」とも言い換えられるような。
国の栄光を盛り立ててゆかなければ…足を引っ張りあっていては、
いつまでもダメな日本のままだ…と。


一方、
戦後復興の立役者達の側は、その原動力だったものを背負っている。
諸外国に対して「あんな卑怯で汚い奴らのようにはならない!」
…と言う自負。権力者に阿らないという自尊心…等々。

「正々堂々」「誰にも文句を言わせないような形で」勝つ。
「そして、勝ったのだ!!」…と。それが日本人魂であり、
民族の誇りである…といった感じで。



だから…今の日本の圧倒的な経済力に物を言わせたような
“あんな勝利”は…少なくともそうとも見えるような…
疑わしいレベルで満足しているようでは 甘い
それに執着することが、逆に日本の栄光を貶めるものだ!
…という内心が働いてもいるのだろう。
自分のチャンピオンベルトはそんな卑しい物ではない…と。


しかし、今時の軟弱な若者は、それを頭から不可能と、
想定の範囲を大きく逸脱した虚構だ…と切って捨てている。
「不公平だ!」とか「不平等だ」とか、「そんなの綺麗事だ」と。
いや、「(過去)やられたのなら、(今)やり返していい」「目には目を」
と。矛先を弱者に向ける卑怯な八つ当たりの構図には気づかずに。

それは憲法改正の議論の高まりにも同じく通じる。
憲法九条なんて損な物は捨てたいという軟弱な心…。

その不利益を背負っても、対抗できる優秀な民族である
という自負も気負いも微塵も無い

負け犬根性で脆弱な国民だから、卑怯でも如何様でも、
とにかく目先の栄誉、空虚な肩書きをまず先に欲しがる。