綺麗な芸能人の食べ方は

  • 2009/07/18(土) 20:11:26

最近のTVで観る芸能人の食べ方は、
全然おいしそうに見えない。



それは何故なのか。

しばらく考えていたのだが、おそらく…、


ルックスを美しく保つために、
頬に食べ物を入れて顔のラインを崩すことを
極端に敬遠しているから
であろう。


シャープなヤセ顔が美しいとされているから、
それに併せて、食べ物で頬が膨らむことは、
論理的に相対的にデブへと通じることから、

少しでも太って見られたくない。
最高としている顔のラインを維持し続ける
ために。



台詞や表情で、いくら巧みに演じていても、
感情表現として、それがどんなに喜びを上手く
表現していても…、

その食べ方では、美味そうには見えない。


私ならば、美味いものを食べているとき、
口の中いっぱいにして、その味を楽しみたい。

食べ終わった後も、どこかに残り、その味を
楽しめるくらいに。



ただ、食い番組常連の、いわゆる美食レポーター
とされている方々は、ソムリエが正しい味覚を
維持する為に口直しの水を必要とするように、
口中のリセットを容易とするための食べ方として、
なるべく口の中では広げずに飲み込む食べ方が
必然的に導かれたのかもしれない。

番組を何本も纏め取りする為に、一日で食べられる
量の限界から、一度に食べる量を減らしてゆくことも、
合理的な帰結として導かれよう。

勉強習慣習得手順

  • 2009/05/25(月) 18:11:04

宿題のできない子どもに、習慣を身につける方法


まず30分なら30分、一時間なら一時間。
内容関係無しに、拘束時間を決めてしまう。
何があっても出さない。

気の紛れるような誘惑は一切ない退屈な空間に、
時間が来るまで拘束する。

どんなに泣いても暴れても、無駄だと観念させてしまう。


子どものその退屈に耐えきれない叫びのはけ口として、
単純な作業を与える。簡単でも成果が見えるモノがいい。

慣れてくれば、それにも退屈するだろうから、その都度、
難易度を上げて行く。そこで初めて、おだてや叱咤、
自尊心とプライドを擽り脅かして揺さぶりをかけて導く。

課題レベルが追いつけば、宿題などをさせるのもいい。



拘束されることが、当人にとって当たり前になっている
状態になって初めて、課題を早くクリアしたら、終了時間を
短くすることを提案する。その時点であれば、それが
ご褒美として機能するようになっているはずだ。

もちろん裏の意味として、クリアしなければ終わりはない
ことも同時に意味するのだが、それは伏せておく。自分に
とって、都合の良い提案だと揺るぎなく思い込むまでは、
時間オーバーするような課題を与えてはならない。


そうなってしまえば、宿題程度ならば、初めて、終わるまでの
間に、退屈だと思う瞬間などすらよぎることがなくなる。
そうなれば、時間的拘束のような外的圧力など必要なく、
特に勉強に対して退屈・苦痛だと考えることもなく、
終わらせて次ぎを考える登下校のような通過的障碍に
すぎなくなっているだろう。


でもそこで、何時までも一定時間の拘束だけを厳格に行って
いては、退屈な時間をただ耐えるだけの忍耐力が養われてしまう。

それは一種の仮眠状態。脳を体を休ませて次の遊びに備える
だけの時間となってしまう。どうせ、時間が経てば解放される
のだ…と。

これを続ければ続けるほど、勉強は退屈なものだとの確信は
深まるばかりだし、与えられた課題や自らに降りかかる災難を
自らを成長させて達成・克服する覚悟すら失われてゆく。
不況にはただひたすら耐える。耐えれば夜明けが見える。
開けない夜はない。止まない雨はない。…と。

この段階の人間の存在を考えると、学級崩壊時代の今と、
形だけは整然と行われた四半世紀前の授業と、どちらが
マシなのか判らなくなってくる。



そして、
決められている平均的スケジュールにガッチリ添って、
完璧に授業を行っているのだから、落ちこぼれるヤツが出れば、
すべて、子ども自身がバカか怠慢なのだ…と決めつける教育は、
教師としては楽だろうが、賢い教師ではない。


一部のエリートと引き替えに大量の指示待ち人間を産み出した
半世紀前からの教育によって構成された今の社会と、学級崩壊状態で
あっても、自分の行為の結果として未来が変わると感じる素直な感覚を
失われていない人間によって作られる社会。それらのどちらが良いのか。

もちろん、課題達成能力もあり、一般教養も備わっている人間が
一番良いことは大前提としてあることは揺るぎはしない。

その一挙両得を究極として目指すのではあるが、そこへ至る道として、
どちらの迂回ルートを優先すべきなのか。考えてみても良いのでは
ないか。

断食を考える

  • 2009/02/27(金) 12:59:34

飢餓の時代に育った世代が、
飽食の時代に長生きできているのは、
消化機関が省エネに整備されている故に、
必要以上の働きができなくなっているから
…ではなかろうか。


昨今、「断食」が健康法として俄に注目され
ていたりするし、実際効果があるのだろう。
胃腸の消化活動もエネルギーを浪費する仕事、
活動である。

それは、排泄物の殆どが、消化し損ねた残り物
ではなく、剥がれ落ちた腸壁の残骸…細胞の遺体
であるということからも、その代謝の凄まじさを
伺わせる。

それを巧妙に休ませ、エネルギーを疲労回復へと
向かわせることが可能となるならば、その効果は
いかほどのものであろうか。


これに反して、幼少から飽食の時代を生きた
後塵の世代は、その身長の高さからも判るように、
消化機関が相当に非効率に出来上がっていること
であろう。

燃費の悪さから、僅かな空腹にも内燃機関に
支障を来す、故に、苦しい。すぐに食べる。

しかし、断食をしてみれば判るであろうが、
時代劇などでよくある描写…「私はもう
一週間何も食べていないのです…」といって
街を渡り歩く浪人の台詞が、空虚なものでは
ないことが判るであろう。

仙人はオーバーにしても、人は、動物種として
それなりの省エネ機構を持ちうる存在である。
しかし、誰もが今すぐ耐えれるものではない。
震災で生き埋めになった者らが数日で亡くなり
もする。



断食の健康効果が高いであろう、飽食の世代の
消化機関は、幼少時の成長期のエネルギー吸収で
その高身長を手に入れた。しかし、成長が止まり
その栄養過多に苦しんでいる。

もし、飢餓世代の消化機関が、幼少時のMAX
以上のエネルギー吸収の能力が無く、
摂取カロリーそのままでなく、多くを排泄
しえているのならば、
飽食時代世代の消化機関では、それを
幼少時のMAXほどに吸収してしまっている
のであるならば、

高齢者に合わせて同じように食べていることが、
どれほど危険か。…ということにもなろう。