ヒトの声を聞く耳

  • 2007/12/11(火) 18:46:20

インコや九官鳥の声マネ

人からすると、
「動物の鳴き声」や自動車やバイクの「エンジン音」
その他機械音全般まで、“そっくり”に模写している
として聞いていながら、

何故か、人マネに関しては別で、“ロボっぽく”感じている
ことと思う。

しかし、客観的には、あれこそがどれも等しい精度である。

…のだろう。



人間の側が、ことさら「人マネ」に関してだけ、
厳しい判定をしているのだ。

と見るべきであろう。





当然ながら、これは前記事の続き
何故ミクなのか…追記

人間らしさ?

  • 2007/12/09(日) 23:35:48

プロ(?)が初音ミクを「人間らしくする」と称して、
調整(調教)のテクニックをハウトゥしているのを見て
聞いて。

わたしは、「流石…」とは、思えなかった。ただ、

へー。そういうのが好みなんだ。」と思うだけだ。


もちろんそれらの違いが判らない…というのではない。
単に「ヒトらしさ」とは別の、趣向の問題だと。

ただ、知名度の高い者の趣向は、同時に体勢の好む趣向として
多くの者にとって有用な、汎用的なテクニックとして機能し得る
…とは言えるだろうが。



調整(調教)のテクニックとしてではなく、ヒトっぽく聞かせる
テクニックとして一つ言えるのは、ミクの最大の弱点である
歌い出しの部分を、曲の強弱やSEによって上手く隠すこと。

…で十分だろう。


もちろん、「歌手の「個性」としての「くせ付け」など不要だ」
と言っているのではない。
ただ、それは個人的趣向であって、全く無いより何か有った方が
“ヒトっぽい”が、「どうすると、よりヒトっぽくなる」という
ようなものではないはず。

どのようにしても、そこでの統一感が、その「ヒト」の個性と
なって立ち現れる。もちろんそれが良いか悪かは別。
個々人の好みの問題。

「喋らせてみた」が示すもの…喋るは高度な歌

  • 2007/11/23(金) 17:40:40

初音ミクを使って「喋らせてみた」という挑戦が行われている。
そこで示されているのは…現代人の感覚とは逆の結論…


「歌う」より「喋る」方が難しい!


…という現実。

日常の成長では、当然のように喋り、それにメロディに載せて
「喋る」の延長で…「歌う」。
それも鍛錬を伴って“マスター”するものである。…というのが
我々の常識であろう。


が、この初音ミクの「喋らせてみた」の見せる現実はその逆である。


思えば、サーガの時代、各種口伝の伝統を見ても、それらは
歌に近い。リズムを伴ったもので、ずっと間延びしたものあった。
子どもの言語習得にも、単語をリズム良く繰り返すことが
行われる。歌のように同音を繰り返すことで、言語を習得して行く。
絶対音感と相対音感のどちらが高度かは、前者が鳥類のスリコミのように
原始的な能力であることを指摘している。喋るオウムのロボっぽさ。
「歌うネアンデルタール人」なる人類前史の仮説もある。



これは、
我々が日常口にしている「喋る」という行為は、「高度な歌」
である可能性を示しているのではなかろうか。




思えば、「歩く」という行為も、その二足歩行ロボットの開発史を
みて、当初考えていたよりどれほど困難な道であったかを物語って
いるように…「喋る」という行為は、それを当たり前のように使っている
我々が考える以上に高度な行為なのではなかろうか…。

「走る」より「歩く」ことの方が難しい(すり足は「歩く」ではない)ように
「喋る」ことは、「歌う」ことよりも高度なプロセスが、複雑に組み合わ
されているのではなかろうか…と。



そしてそれは、
「行為」と「認知」の相互関係を抜きに扱うことは できない。