寅年自粛

  • 2010/12/31(金) 23:59:59























■あおじ/冷静に■■あかじ/感情的に■■みどじ/蛇足的に■■きいじ/冗談的に■
■こいじ/強調を■■めいじ/念を押す■■きえじ/自信無し■■うすじ/補足・注記■

自分を好きになること

  • 2010/09/21(火) 19:24:00


自分を好きになりなさい

救済の言葉として広く使われている。



しかし、それには前提がある。

自分の好みと世間の価値観とが同じ時

…のみ、そう言えるだけ。

自分が好きなこと と、胸を張って生きること とは、
対応関係ではない。



仮に、
自分が好きだと思うものが、社会から低い評価しか
得られていなければ、

自分で自分が好きなほどに、自信を無くしてゆく。


もしくは、

世間の価値に自分を合わせることと引き替えに、
自分を嫌うことが必要になってくる。



このことに無自覚であると、自信を無くしている者を、
総じて「自分が嫌いだから」と誤解する。

自分を好きになりなさい。と教示し、結果、現状に縛り付けることとなる。



自分が好き


自分が好きな自分が、社会の側に変革をもたらすことが
可能であるならば、自分を好きである事を貫く事によって、
自らの自信を獲得する…ということも、無くはない
であろうが、そのような超人には、なかなかなれない。


そして、今の社会、上に登るには、他者の支持を得るには、
周囲の承認欲求を満たすことである場合が多い。

自分の価値観がマイノリティだと知りつつ、かつ、
自分が好きであることを貫きつつ、胸を張って生きられる
ようになるには、先の条件に加えて、マジョリティであることを
周囲に誤解させた状態を維持しなければならない。

その面従腹背に耐え抜けるものとなると、さらに希だと
言わざるを得ない。


いったんは自分を騙し、世間の趣向と自分の趣向が同じであると
信じられるようになることこそが、一番の処世術なのかもしれない。

結果的には、自分が好きで自信を持った状態となるのだから。…?

情報の対価は、みな負担すべきか

  • 2010/09/18(土) 12:00:23


「情報がタダなんて考えるアホが増えて困る」


そんな言説が、
さも当たり前のように公言されるようになった。


では、

例えば、災害情報は?

「人の命を左右するくらい有益な情報だから、
 それ相応の対価を取るのが正当だ。」


…とでも、そのうちに言われるようになるのかもしれない。


それを払える者だけが、生き残ればいい。

それを怠るような奴は、ケチるような奴は、
どうせ無益な存在なのだから、死んでくれて結構。


そんな話に発展するのも、そう遠くないことなのかも知れない。




図書館にまで、受益者負担の原則を投げかけられて久しい。

もちろん、娯楽小説を図書館で購入する意味を疑うし、
それ目的で利用するのも問題がある気もする。
過去の流行を事後に検証する価値のあるものを、
営業に影響しない程度に遅れて購入するとか。

発行部数を伸ばすために、こんな所にまで出版が営業(圧力)をかけたのか、
質の悪い利用者たるクレーマーに館が屈したのか…は、私には判らない。



商業目的である映画などの情報に、対価を払うのは当然であろう。

しかし、TVなどのマスメディアは、対価を自ら負担して(?)それ、
およびそれに類似した娯楽(ドラマ、アニメetc)情報を、無料で
放映している。なにか矛盾を感じる。



では、対価を取るべき情報って何だろう?

その情報を得て利益があるようなもの?
であるなら、株価に影響を与えそうな事前情報でしょうか?
それって、なんだかグレーな気がする。


身体的不利益を取り除く医学情報?
アカデミズムの情報は、経路は馴染み無くとも、情報自体は
開かれている。閉ざされているものは、宗教がかった民間療法
の類のような気もする。


学校教育は、将来役に立つ情報を提供しているのだから、
対価は欠かせない? むしろ、学校教育は個人にとっては
無益だからこそ、無償で構わないのかも知れない
(個人的な無益と社会にとっての有益は価値相反しない)。

故に、個人的利得(優位性の確保)を目的とした学習塾は
有償で構わなく、私的な理念の拡散を目的とする私学は
助成する必要は無い。有償・高額で良いのかも知れない。



私には、
対価を取るべき情報なんてものは、時限性という共通点
しか見あたらない。いずれ風化する情報を、先んじて得る
その為の対価…。


インターネットの違法アップロード問題と、既存の商業圏
との問題も、解決の糸口は、そこにこそあるのではないか
と私には思える。